春を待つ、日々

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大学受験をみんな失敗して、半年付き合った彼氏を友達に取られた、18歳の冬の終わり。
バッドエンドから始まる恋もあるって知った。
彼の温もりを肌で感じられるようになりたいって本気で願った。

「死にたい」とか、本気で思ったりするほど思い詰めてたわけじゃないけど、なんとなく高い所に
昇りたくて、うちのマンションの屋上に来てみた。
3年ぶりくらいに、入ったそこは記憶の中とあまり変わっていなくて、赤茶けた、低い手すりに
体重をかけたら、宙に浮かべそうだ。
その手すりの前に、人が立っていた。
驚いた。中学校の頃、私は、ここに頻繁に来ていたが、この場所を今まで、誰かと共有したことが
なかった。
ここは、立ち入り禁止にこそなっていないけれど、ぼろいし、危ないので、最近入居した人は、
あることも知らないと思う。
だけど、それよりももっと驚いたのは、その男の人が、手すりを乗り越えようとしたことだ。
もちろん、まわりにフェンスなんかない。これがお芝居やテレビの撮影じゃなかったら、地面にまっさかさまだ。
彼の重みで、手すりがきしむ音が聞こえる。
何これ?
一瞬、身体が恐怖で強張るのがわかったけど、気付いた時には、私は、彼のコートのすそを
つかんでしまっていた。 
なんだか、もう「必死」という感じだった。ので、彼が、ものすごく不機嫌そうに振り返った時には、
内心、「アレ??」っと思った。
「あの、離してもらえませんか」
彼は、低い声で、そう言うと、私の手を掴んで引き離して、
「死のうとしたわけじゃないから」
と、つぶやいて、手すりから身体を下ろすと、階段の方へと向かって歩き出した。
何もできずに、ただ、呆然と立ち尽くしていると、彼が階段を降りていく足音だけが響いてきた。
「なんなのよ」
口に出すと、なんだか空しかったけれど、そう言うしかなかった。
しょうがなかったので、私も、手すりの前に立ってみた。
空が、澄んでいて、高かった。なんだか、透明な日。
ここからは、私の高校が見える。
今日は、受験に失敗したショックで自主休講なので、私は、あの箱の中にはいないけど。
みんなは勉強してるんだなぁと、ちょっと気になって、見下ろしてみた。
きのうまで降っていた雪が、溶け出していた。
その時、足元に、何かが光っているのを見つけた。
拾い上げてみると、シルバーの、細い指輪だった。
9号くらいだから、多分、女の子の物だろう。
さっきの、あの人の物だろうか?さっき、手すりに足を掛けた時に落ちたものかもしれない。
そう時間は経っていないから、追いかければ、まだ間に合うかもしれない。
内心、「ラッキー」と思った。
このままだと、彼がまっさかさまに落っこちていく姿を、夢に見そうだったから。
違ってたら、違ってたで、もらっちゃえばいいや。
そう思って、階段を駆け下りた。
うちのマンションは、外階段もぼろいので、ぎしぎしと音が鳴るのがちょっと怖かったけど。
彼は、歩くのが速いらしくて、私が玄関を出たのと、彼が路地を曲がるのが一緒だったため、
かろうじて、追いかけるのに成功した。
彼の、紺のダッフルコートの背中を目指して走った。
「あの」
思いきって、その背中に声を掛けてみると、さっきと同じ、不機嫌そうな顔で、彼が振りかえった。
彼が口を開くと、なんだか怒鳴られそうだと思ったので、一気に用件を言うことにした。
「この指輪!さっき、屋上に落っこちてたんですけど!あなたのですか!?」
指輪を、差し出すと、彼は無言で受け取って、小さくお辞儀をして、さっさと歩き出してしまった。
なんか、感じ悪いなぁと、ちょっとむくれていると、
「あんた、お人好しだねぇ。」
と、言う、あの低い声が聞こえてきた。
その語感とか、音の響きは嫌いじゃなかった。
だけど、ちょっとムッとしたので、彼に背を向けて歩き出すと、声が追いかけてきた。
「ごめん、お礼と、お詫びに何かおごる」
驚いて振り向くと、彼は、ちょっと困った顔をしていたが、「どうかな」と言って、少し笑ったので、
普段は、あまり人を信用しない私だったけれど、ついて行ってみることにした。
服装が、ちょっとおしゃれな感じだったので、どこに連れて行ってくれるのかと思ったら、近所の
まずいラーメン屋だったところに、なんだかほっとした。
客が誰もいなかったので、お座敷席に案内してもらって、相向かいに座った。
彼が、何でも頼んでいいよ。と言ったので、ワンタン麺と、餃子と、アイスクリームを注文してみた。
注文しすぎたかなと思ったけど、おごりだし、いいやと思って、お手拭のタオルで手を拭いた。
彼は、野菜ラーメンしか頼まなかったので、当てつけかなぁ?と思ったけど、気にしないことにした。
「アサノです。」
と、彼は名乗って、名刺を差し出した。
浅野龍之介と、書かれた名刺は、会社名と、電話番号とメールアドレスしかないシンプルなものだった。
何の仕事してるの、と聞くと、
「結婚式のビデオの編集。」
と、例の低い声で答えた。
「披露宴とかで、撮ったのを編集して、記念ビデオを作るの。箱とかも、新郎新婦の顔写真入りで。そういう仕事。」
そこの、映像担当だと教えてくれた。
世の中にはいろんな仕事があるんだなぁと思いながら聞いた。
「君は高校生?」
そう聞かれて、素直に「高三」と答えた。
「リカって言います。カタカナでリカ。」
そう言った時に、おばさんがラーメンを持って来てくれたので、二人で食べた。
やっぱり、まずかったけど、残したら悪いなぁと思って、時々、息を止めて食べた。
浅野さんも、無言で食べていたので、二人の間に、ズルズルとラーメンをすする音だけが響いていた。
餃子を食べていたら、彼が、じっと私を見つめていることに気付いた。
「なんですか?」
と、思わず聞くと、「いや別に何でもないんだけど」と、前置きして彼は、
「君は、女の子なのに、餃子を食べるんだねぇ」
と言った。私は、
「食べるよ。餃子、大好きだもん。」
と言った後に、「ここの以外は」と、心の中でつぶやいた。なんでここの餃子は、皮がぱりっとしてないんだろう?
「浅野さんの彼女は食べないの?」と聞くと、
「俺といる時は食べないねぇ。」と、言った。その言い方がおやじっぽかったので、年齢を聞くと、「24歳」だと
教えてくれた。なんだ、若かった。
「さっきの指輪、彼女の?」
と聞いて、しまったと思った。彼女にあげるはずの指輪を、剥き出しで持ってる人なんてあんまりいない。
案の定、彼はちょっと困った顔で、
「元、彼女の。この間別れたの。」
「も、と」と、わざとオーバーに、答えた。
「だからって、自殺しようとしてたわけじゃないけど」
そう言って苦笑すると、餃子をひとつ食べて、「まずいね、これ」 と顔をしかめた。
「君は、なんであんなとこにいたの?」
そう聞かれて、一瞬迷った。だけど、まずいまずいと言いながら、「クセになる味」と、餃子をつまむ彼を見て、
この人ならいいかもなと思った。受験にも落ちた、頼りないカンだけど。
「昔から、いやなことあるとのぼるの」
「なんかあったんだ。」
「まあね」
ほんとは、だれかに聞いて欲しかったけど、言葉にしたら、なんだかほんとに孤独になりそうで、言えなかった。「なんで屋上に行くの」
そう聞かれて、ちょっとどきっとした。
私が、言葉に詰まっていると、「あ、わかった」と、彼がつぶやいた。
「天国に近いからでしょう?」
今度は、ほんとに驚いた。私の心を読まれたかと思った。
「なんでわかったの?」
その時、アイスクリームが運ばれてきた。
バニラの、さくらんぼがのったやつだ。
「なんとなくそんな感じがしただけ」
私の母は、私が幼稚園の時に、病気で亡くなった。
母がいなくなって、毎日泣いてばかりいる私を見かねた父が、
「ママは、お空のお星様になったんだよ」
と、チープでベタなことを言ったので、その日から私は、毎日、高い所に昇っては、空を見上げていた。
小さな私の足で行けるところは、屋上くらいだったので、私は、ずいぶん長いこと、あそこで、だんだんと
雲が流れて行くのとか、四季の移り変わりを見ながら大きくなったように思う。
そんなわけで。私は、なにかあった時は、あそこに行く事にしていた。
あのぼろい屋上は、私の、もっとも大切な場所だ。
そんなことを話しても、彼は、笑ったり、茶化したりせず、ちゃんと聞いてくれた。
最後に、「リカちゃんのお母さんは、空の上から、ちゃんと見ててくれるよ」と、百万回くらい聞いた事がある
セリフを言ってくれたのも嬉しかった。
浅野さんのラーメンは半分以上残っていて、キャベツの緑がきれいだった。
私たちは、その後、くだらない世間話で盛り上がって、
「ケンヤくんは、がんばって借金返せ」という結論になった。
話してみると、なかなか面白い人だった。
「女に食わせてもらうのって、男としては情けないよなぁ」と言いながら、彼は、ひじでコップを倒していた。
あわてて、二人でおしぼりで拭いた。
私たちは、ラーメン屋の前で「じゃあね」と言って別れた。
私は、さっきもらった名刺の裏に、携帯電話の番号を書いて渡した。
素直に、もう一度会ってみたいと思った。
彼もそう思ったかどうかはわからないけれど、
「ひまだったら電話して」
と、もう一枚、名刺をくれた。

サクライハナカ [KIkzW-uAqPA-tPVKP-UCYhE] Mail 2001/06/21(木) 02:00:03

私の携帯が鳴る日は、3日後に来た。
彼氏と、親友をいっぺんに無くしてからというもの、あまり私の携帯が鳴ることはなかった。
かかってくる電話といえば、「ちゃんと学校こいよー」という友達からと、間違い電話で、かなりとほほ…だった。
そんな時、彼から電話が来た。
「明日、おいしい餃子を食べに行かないか?」という、お誘いだった。
暇だったし、家にいてもへこむだけなので、出かけることにした。
近くの駅の改札で待ち合わせして、彼のおすすめだという餃子専門店に行った。
とんでもなくおいしい餃子だった。しかも、中の具がいろんな種類があって、私は夢中で食べた。
浅野さんは、ニコニコしながら、ビールを飲んでいた。
「食べないの?」と聞くと、「食べるよ」と言って、割り箸を割ると、エビ餃子をつまんだ。
彼は、大きくて骨ばったきれいな手をしていた。
「何か、楽器やってる?」
「ああ、ちょっとピアノやってる。趣味だけど。」
「私も小学校の時やってた。すっごいヘタだったけど。」そう言うと、彼は、
「ヘタそう」と笑い、「なんで楽器やってるってわかったの?」と聞いた。
「手がそう言ってる」と言うと、「そうかなぁ?」と、自分の手を見ていた。


店を出ると、まだ二時だったので、ちょっと散歩をすることにした。
海に行こうかという話になったのだけれど、二人とも道がわからず、しかたないので、川を下っていくことにした。
小さな町なので、すぐに海に着くだろうと思って、歩いた。
途中で、河原にレンゲがたくさん咲いているところがあったので、降りてみた。
レンゲの花は、きれいなピンク色で、なんだか嬉しくなった。
1輪だけ摘んで、川に流してみた。
ピンク色は、緩やかな川の流れに身を任せて、流れて行った。
「レンゲ、旅に出る」
浅野さんが言った言葉がおもしろかったので、「浅野さんも、旅に出れば?」と言ったら、
レンゲの旅を見守っていた彼が、
「行きたいねー。どこに行く?」
と言ったので驚いた。
「サイパン」
春になったとはいえ、まだまだ寒いので、あったかいところがいいなと思って、答えた。
「じゃあ、目をつぶって」
彼は、そう言うと、私の手を握った。あったかい手だった。
「じゃあ、行くよ。目を開けると、そこはサイパンだよ。」
彼の手は、すっぽりと、私のちっちゃな手を包んで、暖めた。もう、サイパンに行けなくてもいいや。
「3、2、1!はい、目を開けて」
彼の声で、目を開けると、そこはサイパンだった。
何の変哲もない、汚い川が流れてる河原でも、私の心の中は常夏だった。
「あーあ。行けなかったねぇ。君か俺が超能力者だったら行けたのに。」
そう言って、顔をくしゃくしゃにして笑う彼を見て、やばいな、と思った。
私は、こういうのに弱い。



海に行くのをあきらめた私たちが、河原で遊んだり、途中でお茶をしたりしながら、家の近所まで着くと、
もうすっかり夜だった。
沈丁花のいい香りがした。
たまらず、「私、春の夜って好きだな。」と言うと、彼は、予想通り、あの低い、でもちょっとふにゃっとした声で
「なんで?」と聞いた。
「空気が、ちょっとだけピンと張ってて、濃度がちょっとだけ濃くて、いい匂いがして、わくわくするんだよね。」
思ったままに言うと、彼は、
「そう言われると、そうかもしれないねぇ。土の匂いが濃いよね。雨上がりみたいに。」
と、まるで子供みたいに言った。暗闇で見えないけれど、きっと、顔も子供みたいになってるんだろうなと思った。
私たちは、どちらともなく手を繋いで、帰った。
沈丁花のいい匂いが、髪についたまま、落ちなかったらいいのに。
この夜道がずっと続けばいいのにと思った。
うちのマンションの玄関で、別れた。
彼が、急に咳き込んだので「風邪引かないでね」と、私のマフラーを巻いてあげた。
「ありがとう。今度返す。」
と言って、彼は大袈裟に手を振りながら帰っていった。
やった。あと一回は、絶対会える。
いつもはいやだいやだと思っている、マンションの内階段を、4階まで走って昇った。
FENDYのマフラーが、彼の匂いをいっぱい吸い込んで戻ってくる日のことを考えると、嬉しくて眠れなかった。



次の土曜日は、水族館に行った。
彼は、仕事でミスをしたとかで、少し元気がないようだったけれど、「お弁当作ってきたよ。」と言うと、
「じゃあ、芝生の所で食べよう。」と、喜んだ。
エイやマンボウや、ペンギン、私たちは、たくさんの動物や魚を見て、楽しんだ。
「あの魚、不細工だねー」とか、「シーマンいないかな?」とか、まるで遠足みたいに、おしゃべりしながら、
水槽の中を覗いた。ほんとに遠足だったら、引率の先生に怒られているところだ。
一つ、すごくきれいなピンク色の魚がいる水槽があった。あの、川を流れて行ったレンゲと、同じ色をしていた。
熱帯の魚。ひらひらと泳ぐ姿は、本当に花びらみたいだった。
私たちは、その水槽から、なんだか離れがたくて、ずっと水の中を見つめていた。
ピンク色の魚は、そんなこと関係ないかのように、ひらひらと、舞っていた。
私たちは、水槽の陰で、こっそりキスをした。
照明で、位置を確かめたりしなくても、彼は、私のくちびるを探し当てた。
彼に、身を委ねながら、魚が、実はすごく高等な脳みその持ち主で、「人間が、またあんな下等なことやってるわ」
とか、思いながら見てたらいやだなと思った。でも、彼とキスできるなら、私はアメーバでもいい。



水族館を出て明るいところに行くと、なんだか気恥ずかしかった。
芝生にレジャーシートを敷いて、お弁当を食べた。
おいしくできていたかどうかも忘れた。ただ、たこさんウインナーの足が6本だったことは覚えてる。
お弁当を食べ終えると、彼は、シートの上で横になった。
「なんか、疲れた。」と、だるそうに言うので、
「いっぱい歩いたもんね。」
と言って、ひざまくらをしてあげた。
私は、4月から浪人生で、最近振られて、親友もなくして、今、ひざまくらしてる人は、彼氏なんかじゃなくって。
でも、幸せだった。
この幸せが、ずっと続いてくれるといいなと思ってた。
春の陽射しは、まぶしくて、そしてあったかかった。



でも、人生の厳しさを、私はこの春、もう一度知ることになった。
「もう会えない」
そんな、電話が来たのは、それから2日後のことだった。
「なんで?」
そう言うまもなく電話は切れて、残されたのは、つながっていない電話の電子音と、一人ぼっちの私だった。
私は、一人の部屋で、泣いた。それからの毎日は、最悪だった。
学校に行って、気を紛らわしたかったが、もう家庭学習期間だった。
決死の思いで、浅野さんに電話しても、繋がることはなかった。
しょうがないので、家で、家事をやって過ごした。
鍋のこげつきを一生懸命落としていくことで救われた。
こげと一緒に思い出も、落とせる気がした。
だけど、やっぱり夜になると、一人で泣いてばかりいた。
その夜も、眠れなくて、悲しくて、一人で屋上へ行こうと、着替えた。
外は、キレイな満月だった。
屋上についたとたん、私は、ただただ、呆然とした。
「なんでいるのよ」
まるで、初めて会った時のように、彼はそこにいた。
やっとの思いでそう言うと、彼は「ごめん」とあやまった。
「やっと、忘れられると思ったのに!」
私の両目からは、涙が溢れ出して、止まらなくなった。鍋磨きの効果は、まったくなかったみたいだ。
「ごめん」
もう一度あやまると、両手で、しっかりと私の身体を抱きしめた。
そして、耳元で、私の好きなあの声で、つぶやいた。
「リカが好きだ」
止めよう止めようと思ってた涙は、止まることなく、流れつづけた。
私、今なら死んじゃってもいいやと思った。こんな、春の夜に、好きな人に抱かれて死ねるなら本望だ。
このまま、家にも帰れないし、お店はやってないし、しょうがないので、ここに座って話をすることにした。
「電話したんだよ。出てくれないから、なんで嫌われちゃったんだろうって思った。」
「ごめんごめん、出られなかったんだ。」
そう言って、彼は、泣きやまない私の頭をなでてくれた。ピアノを弾く、大きな手。
聞いたこと無いけれど、彼の奏でるメロディーはきっと、きれいな風景を映し出すんだろう。
「今まで、病院にいたんだ。」
彼は、一度ためらうかのように、宙を眺め、そして、平然とそう言った。
そして、「え?」と聞き返した私の手を、自分の喉のところまで持って行くと、
まるで、いつもと変わらない会話のように言った。
「ここのところに、腫瘍があるんだ。」
自分の、頭の中が、ものすごい速さで動くのがわかった。
そして、考え付くもの、それらが全て、悪い方へ、悪い方へと考えさせるものだった。
「手術をすれば、80%の確率で助かるらしいんだよ。だけど…」
彼は、まっすぐに、私を見ていった。
「「好き」も「愛してる」も言ってあげられなきゃ、かわいそうでしょ。」
もしかして、と思った。
「彼女とは、それが理由で別れたの?」
なんて、かわいそうな人なんだろうと思った。彼女じゃない。
今、目の前にいる、彼のことだ。
「彼女も、君もだよ。」
予想はついていたことだった。優しい人は、ほんとの優しさを知らない。
「ごめんね。最後に、もう一度だけ会いたかったんだ。」
お願いだから、もう一度だけ笑ってよ。
彼は、そう言って、少しだけ泣いた。
この人を、心の底から愛しいと思った。
この、月の明かりの下で、目をつぶるだけで、遠くへ行けたらいいのに。




桜が咲いて、私は、予備校生になった。
新しい友達もできた。
そういえば、この間、私の元彼氏と、彼女が、あやまりに来た。
なんだ、やっぱり二人ともいい子じゃんと思った。
あさって、3人でお花見に行く事にした。
もう大丈夫だ。あの二人を見ても、なんだかほほえましくて、嬉しい気持ちになれる。
お花見までに、私にはやらなくちゃいけないことがあった。
何度も何度も練習したことを、繰り返しながら、階段を昇る。
花束は、レンゲじゃあ小さすぎたので、チューリップにした。
病室のドアを開けると、少しだけやつれた彼が、こっちを見て驚いていた。
「こんにちは」
そう言うと、喉にチューブを付けた彼は、口をパクパクさせた。
「これ、お見舞い。」
チューリップを手渡すと、彼は、なんだか困っているようだった。
「あのね、どうしても伝えたいことがあって来たの。」
そして、私は何度も何度も練習した言葉で、彼に気持ちを伝えた。
「私は、あなたが、好き」
私の指が動いて、彼に言葉を届ける。
「あなたのことが、好きだって言ったの。」
足が、震えるのがわかった。彼は、そんな、私を見つめて、ずいぶん長いことだまっていた。
だけど、その指が動いた時、私は、やっぱり泣いてしまった。
「あなたが、好き」
張り詰めていた気持ちがほぐれて、泣きじゃくる私を、あの、大きな手で抱きしめて、頬を寄せる。
あの、大好きだった、低い声は、もう聞けないけれど、心の声は、ちゃんと聞こえたよ。
ハートは届くでしょう?
これから、どんな悲しいことや、悔しいことがあっても、強く生きていける、そう思った。
 

サクライハナカ [KIkzW-uAqPA-euoXQ-hDHAH] Mail 2001/06/25(月) 21:27:14

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