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 ミス発見。書き直すことをお許し下さい。

akiyuki [IFfsL-KdXyl-IJbkN-ERHij] 2004/02/05(木) 19:46:44

初音

 季節は春。



 ルートヴィッヒ・B・ベートーベン作曲交響曲第九番ニ短調作品125(合唱)第四楽章
 
 喜びの歌

 「第九」の名で有名なその交響曲が流れるそこは、いわゆる密室だった。
 密室である。
 しかしこの部屋中の通路には鍵というモノはない。
 それで密室などと名乗るのはおこがましいかも知れないが、しかし密室なので…。
 窓も戸も外界の景色を遮断するように閉じ、それでも手をかければあっという間に外に中の様子を見せてしまう奇妙なバランスの中で、誰の目にも触れることのない閉じた空間という意味での密室が存在していた。

 ただ、それだけのことである。
 
 彼女はそんな場所にいた。


 

      空は少し曇。

 
 バリトン歌手がドイツ語で独唱をするが何を言っているのかはわからない。ゲッテルフンケンどうのこうのの文句がどんなありがたいものなのかは知らないが…今となっては関係ない。
 そこは畳張りの和室。花が活けられ、掛け軸に漢字五文字が書き付けられ、壁に掛かる。茶碗から湯気が一筋。そこにそぐわぬ格好の女性が一人座っている。
 黒いつやのある木製の柱、に背もたれだるげに正面を見据え
「まいったなあ」
 それはうつろげな独白。
 
 彼女はつぶやいた。面倒くさそうに、嫌そうに、悲しそうに。
 呟いたところでどうにかなる状況ではないし、だからといって意味のある行動をとろうという気も起きない。彼女はただ目の前の『それ』にも目をあわせずただ其処に存在するだけである。
 
「まいったなあ」
 彼女は壊れたテープレコーダーの様に、そう呟くだけ。
 楽曲はクライマックスを迎える。完璧な和を携える密室に強く違和感を叩きつける音の羅列。

 


     時間は午後。

 

 彼女の対極の位置に座る彼。学生服を着た、穏やかそうな、しかし、もう、その身体にふさわしい活力と笑顔を見せることなく、 壁にもたれその胸に片手にあまる刃をつきたて、こときれている。
 そのくせ、どこかやすらいだようにも見える寂しげな顔をした青年。すべてにおいて異質な空間で、一際目立つその青年。否、青年だったもの。

 ………………その物体にさえも意味はないし、忌みもない。

 と、ここまで密室の説明をしてきたわけだが、
 これより語られる一人の男の非日常的な日常にこの光景はなんの関係も無い。事切れた彼も、悲しげな彼女も。しかしそこにつながりが無いわけでもない。
 

 これから登場する男、名は国定という。
 この、いってしまえばどうでもいい前置きの描かれた密室。この情景の三年後、この部屋の主となる男。つまりは本編主人公。
 

 彼女はそして彼をみつめ。
「さよなら、平四郎」
 別れを告げた。

       
        音楽が、止まる。

 そして、長い長い怪人と魔女の人生その一部、その描写、その初音が、奏でられる。

akiyuki [IFfsL-KdXyl-IJbkN-ERHij] 2004/02/05(木) 19:47:39

延養亭

 パッヘルベルのカノン。
 その和室には似合わない音楽は当然のように居座り、聞く人を引きつけていた。

 鉄筋コンクリートの三階、その建造物唯一の畳張りに障子の部屋に二人。
 男と女がいた。
 もう少し詳しく言うならば、その男の風貌はきわめて個性的である。瞳は大きく眉は濃く、整った顔立ちといっても嘘ではない。ただ全体的に色黒で頑強そうな面相と短く刈られた頭が相乗し、強く印象つく。そしてその着ているものはさらにその奇妙に拍車をかけている。春の季節に、藍の浴衣、その帯には龍の模様の入った扇子。
 しかし恐怖の対象にはなりそうもないほどの柔和な表情で、畳に正座し、茶を入れている。なるほど、そうして気付けば、ここは茶室だった。そして男はこの部屋の主人であろう。
 女のほうはそれと対極、真白の道着に群青の袴。武人とでもいうような鋭い目つきを助長するように傍らには彼女のものであろう弓が一つ。よくみればまだまだ幼い顔立ちで立ち上がった時の身長は男の肩口まで届かない程度ではあるが、その正面に位置する怪しい男と対峙する器量がある。それこそ、その清楚な外見にかくれた魔性を隠しているように。
 一段高い床には大皿に水を浸し上に牡丹の花を浮かべてある。三十分前に帰った後輩がしていったものだ。その上方には『松樹千年翠』と書かれた掛け軸。
 
 怪人と魔女と密室。
 この情景だけを見てどこかの高等学校の放課後の一場面と看破できる人間がいるなら素晴らしい想像力である。

 ここは和木市。神南町。
 坤高等学校茶道部部長、またの名を、その風貌圧倒的な存在感より茶道部の怪人という男、国定は黒土色の茶碗を持ち上げ、淹れたての茶を喉に流す。茶道部とはいっても正座して作法を学ぶなどと言うことは無い。たんなる茶好きの変わり者と家業がそれな女の子が在籍するだけでいつ廃部になってもおかしくない部員数二人の弱小文化部。しかしいつになってもなくならない。(坤高七不思議の一つともいわれる)
 坤高等学校女子弓道部主将にして怪人の親友。その不気味な行動原理より弓道部の魔女、と仇名される葉桜弓狩(はざくらゆかり)もまた自分専用と化した猫の柄の湯呑みに注がれた茶をすする。

 静寂。ただ、雰囲気ぶちこわしのクラシックのみが流れる、そこは密室だった。もちろん推理小説に代表する封印を施された空間ではなく。密室会議の意味での。
 不思議な事に茶道部の備品であるテープレコーダーは数年前に行方不明になったある男子生徒の遺品という噂もあるが、それでもこの部屋の主、国定は構うことなく自分の好みの音楽をかけこうして友人に茶を振る舞っている。

 学校でも一、二をあらそう変わり者同士の茶会。終始無言の二人。
 そしてその均衡を破った彼女、弓狩は湯のみを畳の上に置く。その澄んだ眼を前に座る男に向け、
「国定」
 清涼な声が響く。魔女の声。
「どうかなさいましたか?」
 無骨な面相から繊細な返事が怪人より返ってくる。
「この拙い液体は何だ。君は僕に何を飲ませた」
 いきなりこれである。しかし慣れたものと国定も笑顔で返す。
「ああ、さっき園芸部でいただいたハーブです」
 弓狩は目を細め首を傾げる。
「園芸部が育てているのは…ハーブティー用じゃなく、香料用だぞ」
 何故知っているのかは置いておいて。
「へえ、まあ、確かに色は変わっていましたからね。じゃあふつうのお茶に淹れ直しましょう」
 といって浴衣の懐から茶筒(自前)を取り出す。ここらへんの切り替えのよさが国定のいいところでもある。
 と、そこで
「ん、国定。今のせりふはまるで僕に毒見をさせたように聞こえるが」
 と少し不機嫌な表情に変わる。
「いえいえ、俺も味見はしたんですよ。俺はいい味だと思いました」
「そうか、ならいい」
 そこで納得するあたり、弓狩もさすがである。
「君が味音痴なだけだ」

 
 
 急須から注がれた本物の茶が差し出される。それを受け取り飲み干す。国定も飲み干す。
 静寂。
「で、葉桜さんはどうしてこんな所に?」
 唐突に現実を聞く。
「休憩。こんなところに来る理由など一つしかないだろう?」
 そういうと彼女は懐に手を差し込み、それを取り出した。それはみるかぎり、ラッピングされたクッキー。にしか見えない。
「道着の中から取り出すものではないですよね」
「作ってきてやったぞ。茶、淹れろ」
 国定の問いかけは無視された。
「今淹れましたよ」
「もう一煎所望したい」
 はいはい、と言って国定はどこから取り出したのかやかんを小さくしたような不恰好な鉄製の急須をかたむけた。
 緑色の液体が注がれる。その水流をみながら国定はふと思う。
「そういえば昔読んだ絵本にこんな風景がありました」
「どんなものだ?」
「ちょこまかくまさんがお菓子を作ってのっそりくまさんのところに持って行く、という話です。で、のっそりくまさんはもうすぐちょこまかくまさんが来るだろうって、掃除をして花を摘んできて、お茶を淹れて待っている話」
「なるほどな。たしかに君はのっそりくまさんだな」
 腕をくんでうなずく弓狩。
「すると僕はちょこまかくまさんか」
「いやそんなまじめに返されても…」
 そういって茶をさし出す。弓狩はその態度と雰囲気からは考えられないような動き、三つ指をついて受け取る。礼儀作法はばっちりであった。
「『草』」
「そう?」
「お辞儀の仕方です。指の先を揃えて指先を立てるように畳につけるやり方をそう言います。あ、しゃれじゃないですよ今のは。世に言う三つ指つくというやつのことです」
「よく知っていたな。君が」
「一応茶道部ですから」
 そこで一つクッキーを食べてみる。おいしかった。
「葉桜さん。これ誰が作ったんですか」
「ん?もちろん弟の矢輔だ。僕がこんなもの作るはず無いだろう?」
「いや、作らないんじゃなくて作れないんじゃ…」
「黙れ」
「あと作ってきたなんて嘘言っちゃって。作らせたんじゃないですか」
「国定、今のは聞き流してやる。だが、仏の顔も三度まで、葉桜弓狩は二度目までということゆめゆめ忘れるな」
 さらっと人を脅迫しておいて、再び口を湯飲みに近づける。
「…あの掛け軸、意味なんていうか知っていますか?」
 急いで話題を変える。
「意味も何も文字そのままだろう」
 先ほどの『松樹千年翠』の事である。
「松樹千年翠、時人不入心(しょうじゅせんねんのみどり ときのひとのこころにはいらず)」
「知っているのですか?」
「松ノ木は毎年新しい葉を命をつける。だが人の心には千年間のその変化も同じ松の緑にしか見えていないのだろう。悲しい事だ。と言う意味だったはずだ」
「へえ、よく知っていましたね」
「たまたまだ」
「へえ……」
「…………」
「…………」
「…………」

 場違いな、しかしこの二人の雰囲気には沿うクラシック音楽が流れ続け、

「話す事が無いですね、何か怪談でもしましょうか」
「さっさと話せ、聞いていてやる」
 何故か、そうなる。




 この前の学校の帰り、歩いていると目の前を女の人が歩いました。なんだか白地に赤い水玉のワンピースを着た人で妙に精気のない表情をしていました。いや、その人は副田さんと言って町内会の人です。で、突然大きな犬が道に飛び出てきたのです。どうも首輪の外れた脱走した犬のようでした。そうしたら目の前を歩いていたその女の人めがけて襲いかかったのですよ。いきなりなもので反応が遅れて副田さんは思いっきり咬まれました。で、あわてて助けようとしたらそれよりも先に飼い主のおじさんがやってきて犬をひっぱたいてやめさせて、副田さんはめちゃめちゃ叫びだして怖かったです。


「つまり何が言いたい」
「…今思うとあの時僕が咬まれてれば良かったのかもしれません」
「なぜだ?」
「華奢な女の人が咬まれたらすごく大変なことになりますけど、だけど俺みたいなのが咬まれてもそんなに問題にはなりませんから。飼い主のおっちゃんだってあんなに困らなかったはずですし、副田さんも怪我しないですんだ。それに…お恥ずかしい話ながら助けたかったけど怖くて一瞬足が止まったんです。だったら咬まれていたほうが………」
「……そうか」
 真面目くさった顔で弓狩は一言。
「ふむ、君は馬鹿だが、代わりに優しいのだな」
「面と向かっていわれると恥ずかしいですね」
 照れて頭をかく。
「馬鹿だがな」
 弓狩は茶をすすった。
 
 午後。


 国定は立ち上がり、何の気なしに障子を開けた。
 風が吹く。
 開け放たれた窓から桜の花びらが一枚舞い込む。
 それは一つ、風に乗り舞い浮かびながら弓狩の膝の上に、
  
  す、


 と落ちる。
「春ですねえ」
「まあな」
「…」
「…」
 思い出したように流れる場違いなカノン。
 大気の流れのみが場を揺らす。
 夕方。そろそろ外も赤く染まり始める。外を眺めながら、怪人は一つ、呟く。
「ふと思うのです………、こうして何にも喋んないでボーっとしてるのも、いいものかもしれません」
「茶道とはもともとそういうものではないのか?」
「それは曲解ですよ。でも、いいものです。…明日も、次の日も、その次の日も、来年も…こんなに平和でしょうか」
「無理だな」
 断定して、湯のみをおき当然のように一言。
「いま、三年だろう。来年は卒業だ」
 そう言うと、弓狩も立ち上がる。
「どこに?」
「休憩終了。練習に戻る。僕は君のように茶をのんでぼうっとしてる暇は無い」
「はは」
 障子を開け立ち去る弓狩に、頑張って、と言うと、まあな、と返る。
 障子が閉められ一人になった国定は、一つあくびをした。


「ところで国定」
 突然弓狩が戻ってきた。
「今の話のどこが怪談なんだ?」
「ああ、実は飼い主のおっちゃんは確か三年前に亡くなっていてその犬は今は野犬になっているはずなんです。で、副田さんは、そんなおっちゃんなんて見ていないって…」
「つまり何が言いたい」
「いやあ、犬と飼い主の縁とは深いものですねえ」
「……そうか」
 それで納得するあたり弓狩もさすがである。

akiyuki [IFfsL-KdXyl-IJbkN-ERHij] 2004/02/05(木) 19:48:51

曲水の宴

 バケツ。彼の目の前にはバケツがあった。
 その中には容積いっぱいの水がたまり、その張り詰めた水面に手を差し込む。
 触れた。
 薬指と中指の先を中心に浮かび広がってゆき、周りを囲む壁にぶつかり再び戻ってくる波紋。
 そして消えてゆく。
 揺らぎを残し、穏やかにゆれる液体。
「国定君?」
 名を呼ばれ男は後ろを向く。
 セーラー服の彼女は少し困った顔をして
「どうしたの」
 質問。するとその男、しかも大男は微笑んで
「いえ、なんでもありません。なんとなく水を触ってみたくなっただけですから」
「ふーん」
 得心すると戻っていった彼女(クラスメートの頼島さん)を見送ると水に差し込んだ反対の手に持つ雑巾を洗い始めた。
 
 
 ここは神南町、坤高等学校視聴覚室。昼休みの後の、掃除の時間。
 妙に存在感のある体を丸め茶道部の怪人にして学生、雑巾絞り係の国定は雑巾を絞る。
 滴り落ちる水滴が手を伝い、水面へ戻ってゆくのを見ながら、春先のまだ冷たさの残る水にてを濡らす。
 じょろじょろと
 ぴちゃぴちゃと
 ぽたぽたと
 あまり言い響きのする音とは言いがたかったが、それでもその音を彼は楽しむ。その国定の周りにあふれる音を。
 室内。先ほどぼーっとしていた国定に声をかけた彼女のかける掃除機のモーター音、
 廊下。水道からあふれる透明な奔流がタイルにはじける音。
 外。竹ほうきが地面をこする音。
 校内。どこかねじの外れた放送委員がスピーカーから流すデスメタル。
 その一部になろうとして同化しきれないほどの存在感を示し、国定は雑巾を絞っていた。
 その時である。

 後ろに立つ同級生にそれを渡すため振り向く。そして異変に気付く。
「はい、頼島さん…ん?」

 頼島さんは停まっていた。

「…?」
 その頼島という名の彼女は窓を拭くクラスメートに何かを話そうと口をあけたまま凍りついたように固まっている。一方クラスメートのほうも笑ったまま窓にモップを振り上げたところでおなじく停止していた。それは何かに目を奪われるとか恐怖に固まるとか、断じてそんなものではなかった。言うなれば、ビデオの一時停止のように、その、国定の背後で彼女たちは止まっているわけでもなく留まっているわけでもなく、停まっていた。
 立ち上がり窓の外にも目をやる。
 やっぱり停まっていた。
「これってもしかして」
 時間が止まったらしかった。
 スピーカーからは延々と呪詛を撒き散らす言葉の羅列。それは止まってないらしい。しかし突然すぎるだろう。なんで時間が停まっている?しかもどうして自分だけがそれを認識している?おかしい。おかしい。松本優作風に言うと「なんじゃこりゃああ」。
「……」
  で、どうしようもないので掃除を再開した。

 ……六時間後。
「お腹がすきましたね」
 まだ、世の中はまだ午後一時十七分のままだった。掃除が終わり暇になったので部屋を出て校内をくまなく探したが、どこにいる人々も停まっていた。外に見える人々も(校外に出てはいけない校則を破るのも気が引けたので校内から見える限り)停まっていた。屋上に上ってみると掃除をサボって葉桜弓狩がせいざで日向ぼっこをしていたりする。
「この人も良くわからない性格してます」
 とりあえずは見なかったことにしてさらに歩き回る。もしかしたら誰か自分のように時間の停止に取り残されているかも知れない。

 ……六時間後
「それにしても、おなかがすきました」
 この異様な状況かにおいてなお、この男はこの男だった。最も弓狩から言わせればこの男の存在が一番異様なのだそうだ。いっそのこと外のコンビニまでいってしまおうか、とも考えた。コンビニエンスストア『導尊』はあるいて二十秒のところだ。 だが校則をやぶるというのはどうにも抵抗がある。どのような状況でもルールに逆らうと言う事に抵抗を感じる優等生の国定としてはそれはしにくい。しかしお腹がすくという生命活動にも関わる重大事実のまえではそれも揺らぐ。学生としてのモラルと人間としての空腹。
「行くべきか行かざるべきか、それが問題」
 などとほざく。
 結局妥協案として自動販売機でお茶を買うことにした。
 ぶらぶらと校内を歩く。誰も彼も固まるその風景。歌っても迷惑には成るまい。
「お気楽人生まっしぐら〜、ペリグリーチャムにネコまっしぐら〜」
「………」
 大声で自作の歌を叫ぶ。
 この状況を満喫しながら曲がり角を曲がる。
「適当に生きる〜キャッテリング茂島〜、……」
「………」
 正門の近くを通る。
「ふん〜〜〜ふんふふん〜」
「………」
「ん……」
「………」
 そして得意げに歌っている自分を見つめている女性に気付く。
「……」
「……」
「えーーと、どこから見られていましたか?」
「イントロのべんべべべべべべんのところから」
「ぐはあ」
 恥ずかしすぎた。なんでまた歌っていたりしたのか?…あれ?歌っていた?なぜ?迷惑が掛からないだろうと思ったからだ。なぜ?みんな停まっているから。?なぜ?時間が止まったぽいから?じゃあ、この目の前の女の人は?

 誰?

「あの…失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「人に物を尋ねる時は自分からと思いません事?ですわ」
「それもそうですね。俺は…」
「あ、私ですか?私は舵鉈恋織(かじなたこいおり)と申します。ですわ」
「………はあ、…で、あのお」
「ところで貴方どうして動けるのですか?ですわ」
「………同じ事聞こうと思っていたところです」
「まあ、まずはお座りになってはいかがですか?ですわ」
「はあ、」
 


 舵鉈恋織と名乗る彼女はこともないように答えた。
「時が止まっているのですわ」
「…なぜゆえに?」
「理由なんて有りませんわ、太陽が東から昇るように、流れる曲水が上から下に落ちるように、当然の事。ですわ」
「いえ、時間停止なんてそんな一般常識ではないように思うところですが」
「………一つ聞きますけど、あなた『時守』ではないのですか?ですわ」
「そんな職業聞いたこともありません」
 恋織は非常に驚いた目をして二人の座るベンチから立ち上がりかん高い、芝居がかった声色で
「なんということ!『時守』でなければ貴方いったい何者ですの!ですわ」
「………さあ、怪人、とはよく言われます。それより教えてください。どうなっているのです?」
 再び例の芝居がかった振る舞いで国定を見据え、
「あなた人の話全然聞きませんわね。ですわ」
 貴女もいい勝負ですよ。と言いたかったがややこしくなるのでやめておいた。
「ですから、この世の時間はときどき止まっているのですわ」
「…え〜〜〜?」
「むむ、信じてませんわね。ですわ」
「だってそんなこと一度も感じた事ありませんよ」
「わからない人ですわ」
 そこでターン
「時が止まっているのがわかるはず無いでしょうが、ですわ!」
 ビシッと指を向ける。
「まあ、それもそうですね」
 あっさり納得。
「で、時守ってのは何なのですか?」
「その名のとおり時を守る者のことですわ」
「具体的には?」
「時を繕うのですわ」
「繕う?」
「ええ、たとえばそんな風に」
 恋織の指差す、背後を振り向く。
 穴があった。
 

 それは穴だった。真っ黒な全てを飲み込むことのみが存在意義とでも言わんばかりに広がる穴が、そこにあった。
「なんですかこれ?」
「近づかないほうが良いですわよ。吸い込まれたら死ぬ。ですわ」
「そういうことはもっと速く言ってください!」
 あわてて立ち上がり後ろに跳ねのく。
 穴は何の変化もなくただ開いたままあった。大口を開け、真っ黒い真黒な円が合成写真のように目の前の風景に張り付いている。
「何?」
「穴。ですわ」
「………いえ、説明には形容詞と副詞を入れて下さい」
「あなたも勘のド鈍い人。ですわ」
 すると恋織は袖から針と糸を取り出す
「時間というのはある種、世界の消費するエネルギー。ですわ」
「あれは『時喰い』と言って、この世に溜まっている時間が漏れ出している現象。ですわ」
「時間がなければ世界は止まったまま。それを修正し再び時が溜まるのを見守るのが…」
「それが『時守』。……あ痛!なんでぶつんですか」
 そして決めポーズ。
「他人の決め台詞を奪うなんて言語道断最悪非道人格欠如の変態行為ですわ」
「……もしかして会う人皆にそういう口上している?」
「ま、いいですわ」
 恋織は時喰いを見据え、その手にもつ裁縫道具を構え、ざっざっと足音をたてながら歩み寄り、穴の周りの空間に、右手の針を突き刺した。すると、ぷすっと音がして針が消えた。手首を返すと針は押し込まれた少し右からあらわれる。その繰り返し。まるでズボンの破れでも縫うように穴の周りに針を刺し糸を絡める。洋服のほころびを直すように、虫食いを隠すように時喰いは端と端を引き寄せ黒い空間はその姿を小さくしていく。それはつまり、空間を縫い上げている。
 驚きながらその工程を見ること五分。
「これで、よし。ですわ」
 虫どめをして糸を噛み千切る。穴が、なくなった。
「ほえ〜〜〜〜」
 国定は感動した。
「すごい」
「ま、当然?楽勝?優秀?流石?ですわ」
 喜色満面の恋織。
「本来なら裏に生地をかぶせて縫い付けるのですけれど、今回はそれほど重度でもありませんでしたから、安心していいでしょう。どちらかと言うと鉤裂きのような傷口でしたし」
「の割には十二時間も時間止まったまんまでしたね」
「貴方たち寿命短い人間には長くて当然と言えば当然。ですわ」
「……舵鉈さんおいくつで?」
「花も恥らう十万十五歳」
「…地獄の公爵並じゃないですか」
 ゴシックロリータな服に身を包むどうしても十代前半な外見の彼女は顔を真っ赤にして
「あなた、他人から一言多いっていわれませんこと?ですわ」
「心当たりあります」
 ふと怪人は十二時間も寝っぱなしの彼女のことを思い出す。
(風邪、引いてないでしょうか)
 国定は頭をかいた。
「それよりも、私も知りたい事がありますの。ですわ」
「はい?」
「『時守』でもないのに、あなたどうして止まった時の中を歩けるのですか?」
「…………さあ、そこら辺は俺も。怪人とはよく言われますが」
「まさか…あなた怪人『国定』?」
「はい、…俺のこと知っていますか?」
「まあ、なんてこと!ですわ」
 オーバーリアクション。
「本当。わけのわからない方に会ってしまいましたわ。ですわ」
 と言ってくるくる回る恋織。
 お互い様です。
 そのひとことが言えなかった。



 
 葉桜弓狩は趣味が昼寝というどこか間違った青春の使い方をする女子高校生で、昼休みになると屋上(立ち入り禁止)にでて日向ぼっこが日課である。たまに寝過ごして掃除の時間になっても寝ている事がある。今日も今日でそのようなダメ人間ぶりをいかんなく発揮していた。
「………む、いかん」
 掃除の時間に流れるトチくるった放送委員の趣味の「死霊の叫び(九十九バージョン)」がスピーカーから大音量で聞こえてくる。寝過ごした事に気付き立ち上がろうとして、
「…」
 目の前で、制服を着ているのでかろうじて人類だとわかる例の男が大の字になって寝ていることに気付く。
「君はこんなところで何をしている」
 自分のことは棚に上げた。
「国定」
 茶道部の怪人、国定は一言。
「葉桜さん掃除サボっちゃ駄目ですよ」
「それを君が言うのか」
 即答だった。
「あー、お腹すきました」
「たった今食べただろうが」
 またしても即答。
「いや、ほんとは穴が塞がってからまた時が動き出すのに十二時間かかって……」
「君はさっきから何を言っている?変な男だな」
 弓狩は首をかしげた。
「こんなところで寝坊だなんてご老人みたいな嗜好の葉桜さんに言われても」
「国定」
「はい」
「一言多い」
「………はい」
「何がおかしいんだ?僕が変なこと言ったか?」




 そのころ頼島えいねるは雑巾を絞っていた。
「国定君どこいったのかなあ」
 首を傾げた。しかし彼のことだ。どうせ掃除をさぼってカノジョのところにでも行っているのかもしれない。
 妙に綺麗な、まるで誰かがもう掃除した後のような部屋を掃除し始めた。
 昼。落ちる水滴、澱んだ水面。それだけだった。

akiyuki [IFfsL-KdXyl-IJbkN-ERHij] 2004/02/05(木) 19:52:40

月の宴

 国定は電車通学である。通う学校のある和木市の隣町、十院町に住んでいる。
 地方都市のさらに奥。その田舎町は有名なものなど何も無いことしか記述の仕様が無いが、一つ風が強いということは言える。春から夏の台風に便乗して、秋口には去ってゆく季節風がある。その規模やすさまじく、その風のあとには神社の鳥居が倒れたり看板が空をとぶこともある。
 その町には南側を山脈が囲み、北側を海が望む狭い土地で、奇妙なくらいに神社が多かった。その町には土地柄か、信仰が大事にされ信心深い人間が多く、霊感少年の数も日本一らしい。その町には、はるか昔、町全体を守る神様が十柱まつられていた。そしてそれに仕える家も十。ゆえに十院町。

 ……。強い風も、一つの神と捉えられ、やまじ風。という名を持つその風を、大正生まれぐらいのご老輩は
 
 やまじ様 と呼んだりする。
 
 おじいちゃん子だった時期もあるこ怪人国定も、同居する祖父からよくその話を聞いた。

 風神 やまじさま



 


 風の妙に強い夜だった。この界隈では『やまじかぜ』もしくは『やまじさま』と言われる春先の強風。その強烈な音に眠れない子供も二、三人。
 月も出ない、雲が天を隠し、風雨が今か今かと出番を待っているような、崩れかけた夜。
 国定はその当時の愛用の浴衣で外に出ていた。部活で着ている藍色とは又違う黒地に牡丹模様の私服である。そんな上等な品をして何故彼は外出をいしているのか?それはなんとなく風にたなびかれて月を見上げたらすごく面白いのではないだろうかと思い飛び出してみた、ただそれだけのこと。
 そしてそれを本当に実行するあたり国定の奇人ぶりをまざまざと見せ付けられる。
 必死に止める妹や父を無視し外に出て、国定家には庭があるが、怪人はそこよりも屋根の上に自分の居場所を見つける。高所恐怖症のくせにその場所だけはお気に入りの矛盾なんて関係ないように存在する男。
 いつものように、怪人は世界とたわむれる。
 
 時刻は闇。

 現在。開発の進む中、未だに田舎町の十院町では外には田んぼが多く空を照らす明かりも無い。ネコバスが全力疾走していそうな夜。すそのたるみが大きくはためく。闇に同化してしまいそうで、決して埋没することのない存在感。そんな彼さえ霞んでしまう、圧倒的なもの。
 国定は見上げていた。空を。
 流れる暗雲から、黄金色の月が姿を見せた。
 強靱な体躯、色黒な肌。強さにかけてはおそらく高位だろうがそんなものは無視され、自分が矮小だと改めて認識させてくれるような、圧倒的な質量。
 満月。


 突風。
 見えない体当たりによろけた。足が滑り屋根から落ちそうになるがなんとか耐える。
「………」
 この強い風では何を言っても聞こえないだろう。しかし最も、この情景に言葉は必要ない。自分には、それを隅の方から覗くくらいのことしかできない。
 国定は、ただ見上げていた。



 ただし月ではなく、全く知らない他人をだが。
 


 築八年、国定家。その屋根の上に人がいた。最初に気付いたのは轟く風音に何かの叫び声。周りを見回す。もしや実物の十二本足の大型車両に出会えるかもしれないと思ったからだ。なにより国定自身がそういうものに遭遇してもおかしくないキャラクターをしているので。
 耳をひそめる。すると、確かに雄たけびが、聞こえてきた。

「るうおおおおおおおおおおおおお」

 …………。
 いた。
 それも、自分の目の前に。
 屋根の頂上。紺のスーツに闇色のマント。その漆黒の長髪を風にさらしながら月に向かい声ではない声で何かを叫ぶその男がいた。
 遭遇。
 遭遇。
 未知との遭遇。
 しゃれにならなかった。
 が、そこにいるのが当然のようにその画は余りに美しい。
「えーと、何をしていらっしゃるのですかー!?」
 やまじかぜの轟音が邪魔をするが男にその声は届いたらしかった。
 男はマントを翻えらせ国定を見下ろすように向く。
 すると、それに合わせた様に突風が男の方向から吹き、国定は思わず顔をかばう。
 風が収まり再び視界の自由が利いた時、男は国定の真横に立っていた。
「それは、つまり我が輩に名を聞いていると言う事か?」
 男の突然の質問。
「えと、はいそうです。あ、俺の名前は『……さ………じ…』…です」
 前回の教訓より自分の名から名乗ってみたがタイミング悪く吹いたかぜのせいでなにをいっているのか自分でも聞き取りにくい。だが、しかしその男にはどういうわけかしっかりと聞き取れたらしい。
「そうか、我が輩は九曇、九曇摂騎(くぐもりせつき)という」
 強風のせいで聞き取れないはずのその声はまるで風そのものが喋っているかのようにはっきりと理解できた。そして名を確認して国定はまず一礼。
「はじめまして。…で何をなさっているのですか?」
「風を創っているのだ」
「         」
「何だその目は?」
「もしかして、あなたも『時守』の方とか…」
「我が輩をあの偏執狂共と一緒にするな」
「申し訳ありません、お知り合いでしたか…。それで、風を創るとはどういうことでしょうか?」
「ふむ、おまえは知らないだろうがこの町には今は五柱の神々が祭ってある」
「琴神、龍神、霧主、風神、埃神のことですか?」
「何だ知っておるのか、なら話は速い。我が輩はその風神だ」
「もしかして、じいちゃんとかのいう『やまじさま』ですか?」
「ほう、そんな呼び名がまだ伝わっておったとはな」
「ほええ、感激です。神様に会えるなんて驚きですよ」
「…普通は遭ってはいけないのだぞ?お前風の強い日はやまじさまがいらっしゃるから外に出てはいかんと言われなかったか?」
「…そういえば」
「まあいいがな」
 そうしてふたたび『やまじさま』こと九曇摂騎は虚空に浮かぶ月面にむかい吠え始めた。

「るうおおおおおおおおおおおお」








「そういえば、近頃風が強くなったのう」
 夜も更けて、家へと戻ってきた国定に祖父はふとこぼす。
「強くなりましたか」
 黒い浴衣に身を包む色黒の怪人。
「ああ、ほれ、あの採石場が出来て山を崩し始めたじゃろう。山を削り始めてから、どんどんと風が強くなってきてなあ。まあ、開発が始まった以上、仕方の無いことかもしれんがな」
 その怪人よりさらに頭一つ分巨大な僧衣の老人。
 怪僧の言葉に国定は少し考える。
「…やまじさまが怒っているのですかね?」
「はっ、障害物がなくなって風が通り抜けるようになっただけじゃろう、物理の話じゃわい」
「じいちゃん、そんな夢のない突っ込みいれちゃあ駄目ですよ」
 そんなとりとめのない会話をして、両者は茶をすする。ほぼ自分の趣味といってもいい茶は、そういえば、祖父の趣味でもあった。と、想いだす。
「それにしても、おまえがやまじさまの話をするなんてのう」
「じいちゃん覚えていませんか?ほら、じいちゃんの話してくれた昔話」
「ん〜、どれじゃろうか、ああ、いたづらばかりする子供がやまじさまにつれていかれる はなしじゃな」
「俺いまだにあの話怖い思い出です」
 老人と国定は笑った。

 






 真横で吠え始める摂騎。その咆哮はすさまじい音量で鼓膜を捉える。耳をふさぐが、衝撃を防いではくれない。変わらない。
 紺のスーツの怪人を見つめながら、黒い怪人には疑問が起こる。
 なぜ、町内の人々はこの摂騎の騒音を気付かないのか。こんな大音量。聞こえない方が至難の業だ。
 しかし答えはいたって簡単。その声に負けない風が先ほどから吹いている。偶然にも摂騎の咆哮と突風の発生が同時に発生し、それは決して他人にばれる事はない。こんな台風のような風圧の日に外に出るのも自分くらいのものだろう。
 そう、納得する。
 そう、国定は勘がド鈍い。
 摂騎の吠え声が轟風の中もはっきりと聞こえているのではなく、声そのものが風鳴りで、その動作一部一部が風を巻き起こすと言う事実。気付くはずも無く、相手は何千年も前から風神をやっていることなどすでに蚊帳の外で…
「ところでお前はなにをしているのだ?」
「え?…ああ、俺ですか。俺はなんだか風がいいカンジなので外ににでてみたんです」
「奇妙なガキもいたものだ」
「夜中他人の家の屋根に登って風を創るなんて言う人のほうが奇妙ですよ」
「我が輩は人ではないから別にいい」
「神様なら何でもしていいってわけでも…」
「…で、その右手のものは何だ?」
 国定の手には、急須に茶碗、そして電気ポット。
「外でお茶飲もうと思い、持ってきました。ご一緒にどうですか?」
「…………いただこう」
 そういうことになった。
 

 空にはまだ出張る月。
 風のいない世界は凪。
 一服する二人。
「やまじさま」
「ん?」
「このごろ風が強いけどいやな事でもあるのですか?」
「仕事に私情を挟むような事はしない」
 仕事、と言う言葉に国定は沈む。
『神様も給料制でしょうか…』
 一口すすり、摂騎はこぼす。
「山が削れたからな…。風を和らげるものがなくなったせいだろう」
「また、突然物理の話ですね。…山って…あの採石場のこと」
「そうだ」
 彼の目は、遠くの方で見える、山に生える樹木の伐採跡地をみているらしい。今は裸の土地になり、ゴミ処理場になるらしいことを、国定も聞いていた。
「……すみません」
「なぜお前が謝る?」
「やまじさまは神様です。やっぱり自然とか壊れるのは、いやですよね」
「その考え方のほうが好きじゃないな」
 摂騎は国定の点てた茶を飲み干し、
「あれは私の山ではないし環境がどうのこうの言うつもりはない。山の仕事場で働くものが悪いとも思わん。いいか?国定。人は生きねばならん。今の世が間違っとるかどうかなど誰にも言えたものではない。生物は生きるためには何かを奪っているといっていい。ただ、それだけだ。何かが善で何かが悪などということは簡単に決まらんぞ」
 言い切った。
 そしてそれを聞き…
「……、はい。……でも」
「でも?」
「質問の答えになっていません。やまじさまは怒ってないのですか?」
「国定…。お前は痛いところを突くな」
 微笑み、立ち上がる。
 国定も続く。
 摂騎は国定から少し離れた。慌てて近づこうとしたとき、

 

 突風。


 目をふさぎ、…風が止んだ時、そこには誰もいなかった。
「…………」
 体が冷える。それは一体何の冷たさか。国定は何も考えず、次の風を待つ。
 体に張り付く衣服の冷たさを感じながら、国定は、ただ中空を見続け
 風は、まだ吹かない。
 風は、また吹かない。
 体に張り付く衣服の冷たさを感じながら、国定は、ただ中空を見続け

  
 

 屋根の上。一人茶を飲みながら、再び風が吹く前に家に帰ることにする。
 祖父と話をしてみよう。そういえば昔、やまじさまの話を聞いた事を、想い出した。
 怪人にして人間とやまじさまにして風神の出会い。
 月はそれを見送ったように、再び雲の中に顔を隠す。再び現れるその時まで

 夜は、いまだ終わらない。

akiyuki [IFfsL-KdXyl-IJbkN-ERHij] 2004/02/05(木) 19:55:54

千入の森

 それは春の気配がどこからかやってきた頃だった。
 和木市神南町、国道の端、隅の隅。
 誰かの喘ぎが、冷たい空に飲み込まれて、かすかに漂う。
 夢か幻か、赤い着物に白銀に光るかんざし。地べたにぺたんと座り込み裾からはみ出る左足の裏は薄く汚れている。露出してない右足と胴体の痩せこけふくらみのない線のでた体を揺すり、すすり泣く。
 三月三十一日。午前六時五十九分。
 時刻は、朝。

 通勤と通学の四文字だけがはこびる小さな、それでも人口十万の市の真ん中で、それをどうやらただ一人目撃するその男は
「どういたしましたか?」
 とりあえず聞く。
 体を震わせて嗚咽する少女はその声に違う意味で体を震わせ、そして振り返る。
 いた。 
 そこには黒い詰襟を着た、黒い眼の黒髪の男。手荷物は黒い鞄。黒い革靴を履いて、何よりその顔面の皮膚はまだ冬が足を残しているにもかかわらず日焼けたように黒ずんでいる。そして大柄な体躯から発散される気配にはかなり圧倒的な奇妙さがあった。
 形容するなら、怪人とでもいうような、しかしこれ以上ないほどに穏和な表情が彼女を見下ろす。これだけ書くとこの男も奇ではあるが何のことはない。実体は正しく正しく男子高校生そのものである。
 一方、奇に奇な少女は驚きの顔のまま、固まる。
「どういたしましたか?」
 怪人は出来るだけ優しく声をかける。昔、今目の前にいるのと同じくらいの体格の少女に目が合っただけで号泣されて以来、女の子の扱いは気をつけている。しかし、
「……」
 少女はほうけたまま、男の顔をただ見るばかりである。
 まるで、ありえない、まったくもってありえない。そんな現象が目の前にいるように、驚愕の眼で彼を見上げる。
 こんな表情にはいまだ出会ったことが無い。
 そしてそんな現象である彼としては
「大丈夫ですか?」
 と聞くので精一杯であったり。たしかに今の世の中見知らぬ人間に声をかけることなんて無いかもしれない。たとえば涙を流す人を見たとしてもあえて放っておくものかもしれない。そういう意味ではこの男、目の前のあまりに場違いな衣装の少女より異質と言えるかもしれない。
 しかし、それにしても。怪人は思う。
『まさかこんなにはっきり見えるなんて』
 少女は怪人を見上げる。上背のある男にただでさえ背の低いのに座り込む彼女はほぼ真上に首を持ち上げる。この時点でその視線の高低さも恐怖の対象になることに彼は気付いていないらしい。
「泣いていたようですが、大丈夫ですか?」
 彼女は、ゆっくりと、頭を縦に振った。が、大体こういう時に大丈夫じゃないと答える日本人は少ない。
「…」
「……」
 しばしの沈黙が流れる。
「…」
「…」
 沈黙を破る少女の問い。
「あの、私が見えるのですか?」
 そして、 
「お願いします。私を見なかったことにしてください」
 全く理解の難しい懇願をされた。
 
 見えるのですか?
 つまり見えるはずの無い。むしろ見えてはいけない。
 見なかったことにしてください。
 つまりみられたくない。むしろ見てはいけない

 常識的に考えれば、別の捉え方もある。彼女は迷惑をかけるといけないから自分のことは無視するように言っている「わけあり」の女の子なのかもしれない。しかし、常識などというものが皆無に等しいこの男には一つの結論が出ていた。
「家出少女にしろ幽霊少女にしろ、泣いている女の子をほっとけるほど分別良くないですよ、俺」
 彼女以上に子供っぽい、悲しそうな顔をして、怪人は少女にそう告げた。

「…あの、怖くないんですか?」
 自分が何モノかわかっているのに?暗にそう付け加えられている。
 少女は恐る恐る申し訳ないように聞きただす。随分と良心的な人物らしい。怪人はにっこり笑って答える。
「はい…ところで、聞いておきたいのですが、俺のほうこそ怖くないですか?自分では結構愛嬌のあるほうだと思うのですが、よく怖いと言われて…」
 きょとんとする紅衣の少女。
 通り過ぎる徹夜明けのトラック、どこかの政党が路上演説を開始する。その道をゴミ袋を持った既婚二十一年目の主婦が通り過ぎる。彼女は道端で何も無いところで『一人』で何かを言っている奇妙な高校生を見かけたが見過ごしていった。
「ええと、自己紹介しますね。俺は国定と言います。皆からは怪人って呼ばれたりもします」
「はあ、あ、わ、私は紅月旗女(あかつきはため)と言います。あの、六年前にここで死にました。一応、自縛霊です。多分、八才の時に死んだから、今は十四才、なんでしょうか?」
「え!十四才!」
「どうしたんですか」
「俺の妹と同じ年です」
「へえ、そうなんですか」
「俺幽霊さんとお話しするのは初めてです」
「私も死んでから人とお話しするのは初めてです…あの聞いてよろしいですか?どうして私を見て怖くないんですか?」
「…」
 怪人は突然沈黙する。
「どうしたんですか」
 心配になる旗女。国定はそしてこわごわと
「怖がったほうが良かったですか」
 と反省しだした。もちろん反対。
「あ、い、いえ、いいんです。いつも私が見える人は私のことあんまり良く思ってくれてない人ばかりでしたから、普通に話してくれて、すごくうれしかったです」
「そうですか」
 微笑む二人。
 怪人と旗女。人間と幽霊。それを差し引いても全くかみ合わない会話である。
 
 時間は過ぎる。薄暗さの残る風景はなりを潜め、次第に次第に空は朝から午前へと着替え始める。
「あの、大丈夫ですか?」
 一連の流れを崩す旗女の問い。外見は十代であるかも疑わしいが中身はそれなりの成長をみせる発言である。
「何がでしょうか?」
 外見はすでに成人の域でありながら中身はすっからかんの怪人は問い返す。
「お時間です。こんな朝早くから、『ぶかつのあされん』があるんじゃないですか?」
「…それもそうですね」
「あの、それから」
 旗女が問う。
「どうして怪人と?」
 もっともである。そして何か気付いたように
「あ、怪人って名前なんですか?」
 とんちんかんな発想をしたものである。
「はは」
 国定は少し声を出して笑い、時間が来たことを確認し登校の体勢に入ろうと後ろを振り向く。座り込んだままこちらを見送っていた旗女は首を傾げた。
 去りはじめた国定は、一つ大事な事を思い出し聞いてみる。
「そういえば先ほどは泣いていましたがもう大丈夫なのですか?」
「はい、話かけてもらったのって久しぶりです。有難うございました、私多分また泣 かなくちゃいけないですけど、今度はそんなに悲しくないと思います」
「なんで泣いてるのですか?」
 もっともな問い。それに彼女は寂しく笑い
「そういう『もの』だからです」
 と答えた。

 風が吹く。


 二人の間にも冷風が吹き、国定は身震いし、寒さを感じぬ旗女は微動だにしない。
 着物の裾がめくれた。
 赤いみみず腫れのうごめく左足。黒く汚れた膝小僧。
 ずっと座り続けているのだろう。こびりついた泥。
 冷たくなった腰から下。
 泣きはらした両眼。
 けれど、
 座る旗女には、『右足』がなかった。

 







「紅月?…ああ、前にあの交差点で死んだ娘か」
「よく知っていますね」
 午後三時五十九分。坤高校茶道部部室。藍の浴衣に身を通す男と道着を着た旗女と変わらぬ体躯でありながらその目線は最大限に鋭さを持つ女の密会。
 葉桜弓狩の都市伝説講座が行われていた。
「有名な話だ。六年前、突然現れた殺人鬼に五体を破壊され死んだ娘。半狂乱となった母親は行方不明になり、未だ犯人は捕まらず哀しみの中での葬儀。しかし奇怪なことに道路中にばらまかれた彼女の遺体は何所を探しても右足が見つからなかったらしい。あの交差点のわきに沼があるだろう?おそらくあの中に落ちたのだろうが多くの人間が探したが結局見つからず右足の無いまま彼女は火葬された。…くだらぬ噂だが彼女がなくなった時刻、あの交差点に行ったものは少女の姿を見ることができる。右足を探して泣いている、だが足がなく歩けない彼女には探しにいく事も出来ず、座り込みただ泣いているしかない彼女の姿が。…だそうだ」
 講座終了。
 そして納得の国定。
「なるほど、そういうことですか。そういう泣くしかできない『もの』ということですか」
「国定」
 弓狩は彼を見据え、言う。
「今のお前のせりふと状況からあえて言わせてもらうが、余計な事にくびを突っ込むのはやめたほうがいいぞ」
「そういう性分ですから」
 言い訳をすると、弓狩は立ち上がり、歩み寄る。
 距離十一センチ。呼気の当たる位置。
「な、なんですか…?」
 弓狩は淡々と言う。
「ああいうのと関わって君の妹も、それに待崎も命を落としたのではないのか?」
「…………」
「僕はすごく怖いよ。いつかそうやって君もいなくなるのではないのかと。あちら側に引き込まれるのではないかと。何故君まで見えなくて良いものが見えるのかといつも思っている」
「俺は死にませんよ」
「…………具体的に何をする気だ」
「紅月さんの脚を探します」
「二十年かかって見つからないものだぞ?」
「それでもです」
「そうか、…勝手にしろ」
 そして立ち上がり離れる。彼女はそのまま席に座ることなく背中をみせたまま、障子に手をかける。
「葉桜さん」
 ぴたり、と動きを止め
「葉桜さん……俺の心配をしてくれて有難うございます」
 後ろで頭を下げているだろう男に一言。
「………君はずるいな…」
 そして国定が面をあげるのと同時に障子はしまり、国定は一人になった。
 その言の葉の真意は、彼にはまだわからない。
 ただ一週間は弓狩の機嫌が悪かったらしい。

 半年後、真夜中の道路を人のちぎれた右足を握って走り抜ける謎の怪人の噂が流れた。それは道路で泣き崩れる女の子の話とともに都市伝説と化したが、やがて忘れ去られる。

akiyuki [IFfsL-KdXyl-IJbkN-ERHij] 2004/02/05(木) 20:11:36

二千年蓮

 どこまでも遠くどこまでも白い月の下
 
 それはただそれだけの、ごく普通の夜のこと。
 和木市にある巨大建造物は全部で四つ。まるで要塞のような鈍色の壁面を持つ和木市役所。『矢止めの国定』を筆頭とする奇人窟、坤高等学校。何かと警察沙汰の多い神南高校。
 そして大手『忌怨』(いおん)グループの大型ショッピングセンター。『ニャスコ』。二階建て横幅一キロメートルは軽く超える船のようなその建造物。マスコットキャラはネコ。無駄に大きな屋上駐車場。
 その駐車場。乗用車がちらほらと停車しているが人の姿はどこにも無い。ぽつりぽつりと電灯が見えるだけで気配というものが欠如した世界。
 当然の事である。人々が用があるのはこの階下の商品なのだから、こんなところに、こんな時間にとどまっている人物は果たしていない。
 こんな場所に用がある奇人は、怪人と呼ばれる種類くらいのものだろう。

 そして、これは怪人の物語。


 その二階建ての建物には二十九の専門店と二つの生活雑貨販売店が並び、人の量はすさまじいものがある。それは休日だけでなく平日の夜もである。午後九時十二分。閉店まで一時間四十八分。屋上に人の影は無い。
 横を向けば田舎町の高度二十メートルの位置に見える者などあるはずもなく、フェンス越しはるか彼方に工場の煙突が時々明るく輝く程度。
 何も無い。
 自分の今たっている場所に目をやっても、特にこれといって変わったところは無い。
 目の前にたたずむ、『彼女』以外…
 必要最低限の照明が彼女を怪しげに照らす。
 
 彼女の格好というのはどこにでも売っているようで絶対に見つからないような柄のシャツにその脚にぴったりと張り付くサイズの一つ小さいジーンズ、そして安全靴。そんなこのうえなく微妙なファッションの上から防寒具とは到底思えない大きさのフードつきマントを装備している。一貫性の無い服装。しかしその最もな逸脱はその中身たる彼女自身にある。紅と黒を混ぜたような色合いの口紅に、左耳に見える骨のような形の、実際に人骨を加工して作られたピアスがちらほらと見える。そのくせ、そこにあるはずの不気味さをすべて払拭してしまう一番不気味な表情、微笑みを携えて。その柔和な表情はそこにあらねばならない、恐ろしさと怖ろしさを魔法のように隔している。
 そう。
 彼女を形容できる言葉は、そう、魔女。
 ここまでくると、一言で言うしかない。彼女も奇人である。
 なによりも異常でしかない、異界でしかない、異変でしかない、異質な『人外』とでも表現するしかないその彼女は、目の前にいる男に話しかけた。
「こんばんは、国定先輩」
 コンクリートの床と壁に彼女の落ち着いた声が響く。声を向けられた藍衣の怪人は、返事をしなかった。その男もまた、突然現れた。今時には考えられない藍の浴衣に下駄を履き、その下から日焼けた黒い肌と短く刈られた髪、そして彫りの深い顔立ちを覗かせる。帯には龍を刻んだ扇子を差し、対峙する。
「この屋上というのは、一つの異界よね」
 突然な、しかし彼女のキャラクターにはよくあう話題が振られる。
「打てば響く鐘のように私の声をこだましてくれるのに、ただ黙っていると」

 ……………沈黙、静寂…………

 天候は風。

「この世に自分しかいないような錯覚。世界ってこんなに静かなのね」
 彼女にして魔女は天を仰ぐ。
「それにしてもこの照明邪魔ね、せっかくの月明かりが台無し満月の日はそれだけで本だって読めちゃうのにもったいないよね」
 そう言っては頬を膨らます。そこには先ほどまでの不気味さが無いゆえの不気味はなく、年相応のはずの表情がある。
 空を向く顔がふたたび怪人を見たとき、その男、国定はどうなのだろう。と考えた。
 人々から怪人と呼ばれる自分と、誰にも知られる事無くここにいる魔女。
 怪人と魔女。
 そこにある差は大きい。
 果たして、
 勝てるだろうか?
 

 夜の街でも藍の浴衣姿の茶道部の怪人、国定はそんな事を考えていた。
 そしてそんなことには無頓着に
「そんなに緊張しなくていいですよ。国定先輩」
 爽やかな微笑みで彼女は対峙した。
 彼女彼女魔女魔女と連呼しても面白くないので本名を述べておく。
 
 魔女 千束屋御彫(ちづかやみほり) そんな名である。
「そう思いません?」
「何がでしょうか?」
「だから、同じ田舎なことこの上なしの十院町出身の国定先輩は『暗くない夜』ってどうですか?」
「たしかに情緒的にもったいないかなとは思います」
 おもわず答えてしまう。それよりも同じ隣町の十居町の出身という事に驚く。
 事実に少々、そして面と向かっての相対に大分、まいってきた。
 無意識のうちに、半歩後ずさる。御彫もその分前に歩く。それは一定の距離が離れているとは言っても一定の距離以上から逃げられないというのと同意でもあり。
 そして、硬直。
 緊張する男と普通な女。
 もちろん普通なわけがあるはずが無くこのシチュエーションは絶対的に異常であり、それでも夜はいつもと変わらず過ぎてゆく。
 
 時刻は、闇。

 ふふふ、と笑い
「平日の夜なのに人が多い。みんな暇なのね。…やっぱり人払いの結界を張って正解だっ たわ、一般の人を巻き込んじゃあ可愛そうだもの」
 と御彫。
『おもったより良識ある人です』
 心の中で呟く。


 前置きが長くなった。
 
 どこまでも遠くどこまでも白い月の下。怪人と魔女が、決闘をしていた。

 

 ここで断っておくと、今回は主人公が国定でもなければ相手役の千束屋御彫でも無い。本来はそこにいるべきではないけれども、何の因果か、本人の運の悪さか、それとも自業自得か。屋上駐車場の隅っこで、その二人を覗いていた第三者がいた。

 眞木愛彩(さなきあや)坤高校二年生。目撃者。彼女が原因でもないし彼女は何もしていない。ただ、見てしまった。そんな話である。







 眞木愛彩自身はそう思った事はないが、思わず笑いがこみあげる瞬間というのがこの世にはある。たとえば人の秘密を鷲掴みにした時、など。そして、彼女は今まさにそれだった。

 決闘の六時間前、
 まただ。
 愛彩は目撃していた。
 学校。その日の授業が終わり放課後を開始するチャイムが校舎中に鳴り響く時のことだった。古文担当の毒嶋(ぶすじま)教諭の授業はなかなか終わらない。どうやらこのまま二、三分延長戦の開始らしい。が、集中力を切らした大半の生徒はそっぽをむいたりあくびをかみ殺したりダイレクトに大口を開けたりと種々様々な反応をみせている。 中にはまだまじめにノートをとる人たちもいる。そんな優秀な分隊に所属する愛彩としてはよそ見をしたのはほんの偶然のこと。
 三列向こうにいる彼女はなんだか限界に近そうなギリギリの表情をしていた。むしろいつも限界な表情をしている。一体どんな事を考えているのだろう。愛彩のいまの思考の中心はそのクラスメイト、千束屋御彫にある。今年の四月。愛彩たちが進級するのと同時に何故か同じ市内の神南高校から転校してきた美に美が重なるような美少女。けれどなんだかその微笑には薄気味悪さも見え隠れし、あまり近づく生徒はいない。同じクラスになった愛彩もその類で彼女のことは趣味がカエルで特技が未来予知で宗教は『黒伏』とかいう悪魔崇拝教であることくらいしかしらない。
 そんな、いつの間にか魔法でも使ったようにクラスになじんでいた彼女のことが気になったのは、十日前、その不思議系少女の御彫が、密会をしているところを目撃したことにある。
 
 部活が終わり、夕暮れの中自転車をこいでいる時だった。公園のベンチに誰かがいた。別に気にする事でもないが愛彩の原始的な才能、いわゆる勘が彼女をなぜか停止させた。そして、それは千束屋御彫だったのだ。襟と袖が緑で染められセーラーに原色の赤と緑のチェックのスカートと隣校の制服をまだ着用する同級生では有るけれどもあまり面識はなく話したこともない彼女。
 なにをしているのだろう?とは思ったが日向ぼっこか妖精を見ていたとか言い出されかねない人物像があったのでほっとく事にした。あるいはなにもせずただぼうっとしていた。というのが一番当てはまりそうだった。そういうキャラっぽい。
 そこでふたたび家路を目指す事にした。今日は金八の再放送。
 が、次の瞬間武田鉄矢の顔が消えた。
 公園。御彫のもとに誰かがやってきて、手にもつアイスクリームを渡した。この季節にアイス?と思うべきだったが、年頃娘の(下世話な)本能はおやおやおかしいぞ?という空気を感じ取った。もしかして?
 なにしろ相手が相手である。可愛くて近寄りがたい不思議属性の不気味系あの千束屋御彫の隣十センチのところに大柄な男が近寄っている。いや、むしろその男を愛彩も知っている。うちの学校の三年生の、いや坤高校一の有名人、茶道部の怪人こと国定先輩が千束屋御彫の横に座っている。
 この組み合わせ、案外合うのかも。などと考えながら愛彩はしっかりと声が聞こえる程度まで近づき草むらに隠れた。
 そのまま何も見なかったことにして帰ればよかったのに愛彩はこともあろうに、近づいて、隠れて、覗いていた。
「……………ですが…でしょうかか?」
「…なんてどうです」
 どんな会話かは不明だが、みょうに険悪だった。
 すぐに国定は立ち上がりどこかに消えて行った。その覚悟めいた表情は、怪人の名で呼ばれながら穏和な男には似合わず、それを微笑んで見送る御彫。そしてその彼女もすぐに反対方向に帰っていく。

 草むら。一人残された愛彩はすぐに後悔した。さっさと帰ればよかった。拍子抜けも過ぎる。そんな世の中面白い方に面白い方に行く試しがない。
 しかしそれ以来、ことあるごとに御彫を見ている自分に気付いた。向こうはいつもぼんやりと遠くをみたり足元を見たりしているが、時々廊下を見ていることに思い至る。もしやと思い観察していると一つの事に気付いた。
 待っているのだ。
 時々愛彩と御彫の教室の前を通り、必ず中を覗く国定を。
 誰も気にしないが国定はこのごろ移動教室のたびにわざわ二年一組の前を通る。
 誰も気にしないが御彫は国定が通ろうとすると来るのがわかるように顔を上げる。
 誰も気にしないが二人は会うたびに視線を交わらせる。
 そして、今日もそうなるだろうと予想する愛彩に、現実は違った。
「ん、宿題は二十三ページから出来るところまで口語訳」
 毒嶋教諭が絞めの言葉を発す(この場合出来るところまでというのは範囲全部と置き換わる)
 皆から脱力感が伝わる。廊下を授業が終わったらしい集団が帰ってくる。まさかまだ授業が続いているなど考えてもいない彼らと彼女らは大きな声で会話をしていた。
「だから、おにぎりには梅干が一番に決まっているだろう。わざわざシーチキンなんぞ入れなくてもうまい」
「それってただマヨネーズが食べられないだけでは」
「文句あるか」
「いえ…」
 わざわざ大声でそんなこと言わなくても、と思い、そしてその声の主に思い当たる。
 閉じたガラス戸に、背の高い影と小さな影。
 自分と御彫、その延長線上にある窓に、身長二メートルはあるかという大男と目つきの鋭いホントに背の小さい女子が現れた。
 国定である。そして、その相棒と噂されている葉桜先輩もいる。そこでもう一人の魔女のことを思い出し、彼女の方を向く。

 御彫は窓の向こうを凝視していた。。
 どんな表情をしているのだろうか?いつも廊下のほうを向く後姿しか見たことが無い。どんな顔をして、国定怪人と目を合わせているのだろう。
 国定のほうを見る。

………… ………………

 その目は、きっと御彫を見ていたに違いない。今にも殺しかかろうとするような、恐怖に満ちた目を、国定が一瞬した。そんな目で何を見たというのだろうか。
「葉桜さん、部室の方で少しお待ちいただけますか?」
「ん?どうかしたのか」
「…用事ができました」
「そうか」
 国定は少し困ったような顔で、自分の教室の方ではなく、中庭に向かい足を進めた。
 今までと少し違うそのやりとりのあと、すぐに御彫は教室をすぐに出る。その貌はひどく不気味に、美しく。
 愛彩は少し考えて・・・走って尾行した。

 
 二人は案の定密会していた。密会といってもそこは自動販売機の真横のベンチ、見つかろうと思えば見つかる場所。しかし誰もいない、まるで誰も入る事の出来ない結界があるように…二人はいた。
「わざわざ葉桜弓狩先輩を連れてくるなんて、本気みたいですね」
「彼女は…偶然会っただけです、巻き込まないでください」
「それでも、私と葉桜先輩を合わせる危険を承知で私を見に?」
 それは光栄な事です。とどこか皮肉った口調で語る御彫。いつものほんわかした態度がどこへ行ったのか、もっと、冷たい、怖い、いや、暗い優しさとでも言うような、そんな落ち着き払った態度で国定を見据える。
 それをかげからこっそりと見る愛彩。これはもしかしてもしかする、いわゆるそっちのほうの場面だったりするのだろうか、そういえば国定先輩にはあの弓道部の魔女こと葉桜弓狩先輩との関係が噂されていた。もしかして、それですか?二千年前から延々と人々の間で行われてきた続く色恋沙汰の話、そんなロマンチックな展開が(否、どろどろとした)始まるのデスか?

 そんな下世話な想像は次に一言で木っ端微塵となる。
「どうします?ここでしますか?今なら誰も見てませんよ」
 愛彩の鼓動が限りなく上昇した。
 それってどういう意味ですか。

「それってどういう意味ですか?」
 国定が同じことを言った。
「あら、そんな事言わせるつもりですか?」
 御彫はにっこりと笑い、言ってしまった。
「私も首を刎ねたり心臓を破壊した程度じゃ死にませんけど、先輩なら、夜闇の加護が無い今の私ぐらい殺しつくせるんじゃないですか?」










………あれ?なんか今変な事言わなかった?



 愛彩はそーっと顔を出す。
「ここで、今殺っちゃっておいたほうが、いいとおもうんだけどなあ」
 今の発音、『やる』が『殺る』と聞こえたぞ。あれあれ?
「君は、何者ですか?」
 どこか震えて聞こえる声。
「御彫と言います。ミホたんと呼んで下さってもいいですよ」
「千束屋さん、あなた、何者ですか?」
「あら、残念。……では、どう答えて欲しいのですか?」
 明らかに、国定のほうが圧倒されている。
「怪人と魔女、出会ったからには潰し合う。躊躇う事無いじゃないですか?それとも、そこでみている人に遠慮して正体を見せたくないとか?」
 国定もその言葉に応じて振り返る。

 覗いているのがばれていた。

「どうします?私達の秘密知られちゃいましたよ?なんだったら私が処理しましょうか」
 間違いない。処理というのはきっとすごくすごい事をする気だ。
「千束屋さん」
 その声には初めて怒気が含まれる。
「関係のない人を巻き込まないでください」」
 静かに正しい、怪人にふさわしい迫力。
「冗談ですよ」
 にこりと笑い、御彫も譲らない。
 愛彩は直感的に正義の味方国定と悪者御彫の構図を描く。
 どうやら国定は助けてくれたらしい。御彫はため息を吐いて
「じゃあ眞木さんのことはお任せします。今日の夜九時、忌怨のニャスコの屋上に来てください」

 
 そして現在。

 そして午後九時二十一分。

 そして怪人と魔女の時間。
 
 その古居浜で一番大きい建造物の屋上。隠れるようにして国定と御彫の会退を覗いている。あれから御彫は消え、自分に何かを言おうと近づく国定からピンポンダッシュ以来の全力疾走で逃げ出した。もう充分である。もしかして自分が今までに経験した事の無いドキドキが待っているかと思ったが許容範囲を大きく上回る命に関わるドキドキがまっていようとは微塵にも思わなかった。経験より理解した。もう関わらないから、私のいないところで殺し合いでも化かし合いでも謀りあいでも斬り合いでも潰し合いでも削り合いでも何でもしてください。
 ……そう思ったはずなのに、結局愛彩はここにいる。
 
 藍の浴衣を着た国定とマントで体を包む御彫。
 確定した。こいつら絶対普通じゃない。
 なにが悪かったのか。運命?運の悪さ?それとも身を滅ぼぼす好奇心?

「それより先輩」
 勝負服に身を包む御彫が国定のはるか後ろ、愛彩の隠れているワゴンを見る。
「結局連れてきたんですか?」
 国定も振り向く。
「まさか来るとは思いもしませんよ」

 やっぱりもろばれだった。

「眞木さん」

 名前も割れてた(というより同じクラスなのだから知ってて当然)。

「死にたくなかったら出て来て」
 ほかに選択肢の無い要求。三秒考え、諦めて姿を現した。
 屋上に怪人と魔女とただの女の子。滑稽と言えば滑稽。最悪と言えば最悪。
「それにしてもどうしてここに来れたのかしら?」
 不思議でたまらないといった風に御彫は語る。
「ここには結界が張ってあるから誰もこれないはずなのに」
「たまにいるのですよ。そういう『こういう』のをまったく受け付けない体質の人が、人によっては『イレギュラーフリー』とか『輪廻外』とか『トラブルテイカー』とか言いますけど」
「そう…つまりはそれで私もいままで見られていることに気付けなっかたのかしら」
 本人をさしおいて愛彩のことを話し始める二人。
「それじゃあ眞木さん。このことは内密にしてね」
「…へ?」
 突然話を振られ気の抜けた返事を返す。
「だから戦いが始まる前に早くここから離れて欲しいのです」
 国定が後を接いだ。
「…私のこと見逃してくれるんですか?」
 するとこんどは二人がきょとんとして
「なんで君が悪かったりします」
「巻き込むほうがおかしいでしょう?」
 とまともな事を言う。いや、どこかずれている。ここまでまきこまれて、正確には脚を突っ込んでおいた自分の心配を、この二人はしている。なんでもなかったことにするには深みに入り込んだ自分に今ならまだ間に合うような事を言う。
 一番人間から遠い人種の癖に人間らしい事を言う。
「一つ聞いていいですか?」
 愛彩は疑問が浮かんだ。この二人は…きっといいひとな二人が争う理由。
「なんで…二人は戦うんですか?」
「俺が怪人だから」
「私が魔女だからよ」
 即答する。
「それ理由になってないですよ」
 思わず愛彩も即答していた。
「よくわかんないけど、それおかしいですよ」
「でも、俺は今まで彼女のような存在と戦ってきました」
「私も生き残るために敵を倒してきたわ」
「じゃあ、なんで今まで平和だったんですか?同じ町に住んでて」
 二人は言葉が詰まった。
  愛彩は巻き込まれただけである。これが物語だとするなら彼女にはせりふなんて与えられるようなポジションにはいない。国定と御彫。二人がどの様に出会ってどのような事象からこのようなことになったのかさっぱりわからない。中途半端にかかわって中途半端に離れていく自分。いてもいなくてもさしつかえのないキャラ。しかし残念ながら彼女はそこに存在している。なにもせずに脇役。きっとそれが一番自分にとって安全な事なのだろうが、興奮している愛彩は次々とまくし立てた。
「なんでこうなったのかわからないですけど、二人の話だとそういう風になってるみたいだから戦うみたいじゃないですか。二人がいがみ合う理由って何ですか?」
「いや、特にないんですよ」
「どちらかというと戦うのはイヤなんだけど」
「ほんとは戦いたくないんでしょ?」
 また二人は言葉が詰まった。図星なのだ。
「で、でも…」
 情けない声で反論するのは御彫である。
「そういうものなのよ」
「聞き分けが無いなあ」
 なんだか二人が随分と子供っぽく見えてきた。
「変な慣習に惑わされないで正しい道を進みなさい。ってどっかの人もいってましたよ」
「い、いや、しかしですね」
「先輩も先輩です!後輩の女の子ぶち殺そうとするなんてひどすぎます」
「う…」
「わかりました」 
 御彫が何か諦めたように呟く。
「今回は身を引きます」
「身を引くだなんて、わけわかんないわよ。先輩、千束屋さん。もう喧嘩しないって約束してください。っていうか、なあなあで殺しあうとかそういう常人には思いつかない様な行為はやめてください」 
 奇妙陳列極まりない光景である。
 初夏の夜、二人の変態を相手に説教する少女が一人。
 一つの無益な争いを下世話根性丸出しの覗きが止めたという話。

 

 





 その数日後。

 時刻は夕暮れ。
「…で、決着はどうなった?」
 茶道部部室。怪人の庵。道着に袴、こちらも魔女、弓狩が問う。その手には、おにぎり(梅干し)。
「あんな感じですよ」
 いつものように茶をすする国定の視線の先には…

「えー、で、次の授業までに六十ページまで、何とかしとくように」
 毒嶋教諭の何とかしとけは口語訳しとけ、前に出て書かせるぞの意である。
 今日の授業はめずらしく早く終わる。不思議系少女、千束屋御彫は今日は寝癖がひどいのだが本人は少しも気にしていない。気付いていないのかもしれないが無視し、なぜか知恵の輪をしている(授業中)。
 学級委員号令の元、挨拶。授業が終わる。するといつの間にか授業道具をしまった御彫が変える準備をして愛彩の背後に立っていた。
「さあ、帰りましょう、アーヤ」
「その呼び方どうかなあ」
「私のことはミホたんと呼んでくれてかまわないのよ」
「…いや、やめとく」
「あら残念」

 とりあえずあの場は収まり二人は和解したらしい。町の平和は保たれたが愛彩の日常は木っ端微塵となった。クラスの皆も急に仲良くなった御彫と愛彩を不思議がっているがどちらかというと本人が一番不思議がっていたりする。

 こうして、何のとりえも特にないけれど、変なのに好かれるという才能を持つ眞木愛彩は新しい友達ができた。

 風はいつもと変わらず吹くだけで、二千年の昔から、人の笑い声も途絶えずに…。

akiyuki [IFfsL-xQIpa-Fimdg-JEgpE] 2004/02/07(土) 19:33:53

八つ橋
  
 巡りに巡り、もう、秋も深まる季節のこととなった。それでも、怪人と魔女はいつものように茶を飲み交わし、そして紅葉は散ってゆく。
  
 放課後。
 葉桜弓狩はいつものように、いや、いつもと違って部活動の練習の前に、制服で茶道部部室の戸に手をかけた。抵抗なくスラリと戸が開いたその向こうに、あの男がいるはずで、中の空間に向かってまず
「国定。茶」
 二言で済んでしまう用件を述べた後。そこに彼女の求める彼がいない事に気付く。
「………」
 いなかった。
 そこには見事なまでに完璧な和が広がり、あのクラシックをかけてせんべいをかじりながらだらだらしているはずの彼、国定がいない。ならどうして入り口に鍵が掛かってない?(茶道部部室はガラス戸とふすまの二重戸でありその廊下側のガラス戸の鍵は国定が所有している)部屋の隅々を見回し、ふと、目が部屋の隅に止まった。
 いた。
 他に言い様もなく、ただそこにいた。
 まるで妖怪ででもあるかのような男が、全く気配を出さず座っていた。直立すれば国定にも比肩しうる長身のはずが、可能な限り丸められた体は視覚的には犬くらいしか見せつけない。そして弓狩はこの男が誰だか知っていた。
「何をしている。犬軋」
「         」
 男は反応しない。首さえも動かさず、明らかな無視。普段の弓狩ならこんな反応をかえしたら乱暴を働きかねない。しかしこの男、犬軋晩玄(いぬぎしばんげん)にはそんなことを言っても仕方がないことを誰よりも理解している。何しろこの男はあの茶道部の主、国定の昔からの幼馴染にして、名前とかけて『番犬』とあだ名される寡黙で忠実な男。変人度にかけては弓狩にも劣らない、つわものである。
 仕方なく、壁を背にしてうずくまる晩玄の向かい側に、同じく背を壁にあずけて座る。
「…………」
「    」
 基本的に受け身な女と絶句の男では会話どころか意思の疎通も出来るはずがない。ただただ、両者はそこに座って、彼の登場を待つ。
 そして、
「お気楽人生まっしぐら〜〜、ペリグリーチャムに猫まっしぐら〜」
 弓狩の脳裏には一人の男の映像しか思い浮かばない。戸の方を凝視。そして障子が開き、外から男が入ってきた。学生服のその男は室内を見、二人の姿を確認するや
「…こんにちは。葉桜さん、晩ちゃん」
 と子供のようににこりと笑う。
「国定、その奇怪な歌はなんだ?」
 ほかにも色々あるだろうがやはりそこからツッコミをいれる。
「俺の師匠の作詞作曲、お気楽人生音頭です」
「誰だ、その恥知らずは」
 そんな定例のボケ・ツッコミを終わらせてから弓狩は
「こんにちは国定」
 そして
「茶」
 やはり二言ですむ挨拶を交えた。
「休む暇も無いですね」
 国定は鞄を置くと学ランを脱ぎ電気ポットの電源を入れる。
「国定。何か言う事はないか?」
 新しい茶缶の封を開けている国定に後ろから声をかける。
「?と言いますと」
「君は僕と犬軋が自分より先に部屋に入っている事に疑問を持たないのか?」
 と、遠まわしに君は鍵を掛けるのを忘れていたな火元責任者のくせに鍵の確認を怠ったな嗚呼本当になさけないそれでも高校三年生かしかもそれに気付いていないという体たらく嗚呼信じられん嗚呼恐ろしいこういうのが学校の雰囲気を乱す悪源なのだなうむ覚えておこう。などという意が含まれているのを三年の付き合いのある国定なら、さっぱりわからず
「……はい」
 と正直に答えてしまった。弓狩は
「君は鍵を掛けるのを忘れていたな火元責任者のくせに鍵の確認を怠ったな嗚呼本当にな さけないそれでも高校三年生かしかもそれに気付いていないという体たらく嗚呼信じられん嗚呼恐ろしいこういうのが学校の雰囲気を乱す悪源なのだなうむ覚えておこう」
 と無表情に言った。
「…」
「…」
 そこで、
「あ!そういえば鍵は一体…………」
 あわててズボンのポケットをまさぐる国定をみて弓狩は一つ得心した。
「鍵をなくしたのか」
「…のようです」
「そうか」
「……あれ?怒らないのですか」
「怒って欲しいのか?君はその年にもなって誰かに叱ってもらわないと何も出来ない小 僧か?そうなのか?それとも自虐的性癖を持っていて僕に辱められるその瞬間に快楽でも求めてるのか?」
「いやそうではありませんが……」
 冗談抜きでまずかった。
「どういたしましょう?」
「僕に聞くな」
「晩ちゃん、どうしましょう?」
「そっちに聞くな。自分で何とかしろ」
 すると晩玄はゆっくりと立ち上がり、ズボンのポケットからひとつの鍵を取り出した。見覚えのある鍵だった。というか茶道部部室の鍵だった(なにしろ茶道部と書かれたプレートが付いている)
「うわあ、魔術師見たいですねえ」
「このぐらいでは手品師だろう」
 二人とも間違った反応を返した。
「晩ちゃんこれはどうしたのです」
「      拾った」
 国定にのみは、かなり反応は遅いが、きちんと答える。これでよく人間社会で生活してこれたものだ。
「で晩ちゃんは何でここにいらしました?」
 鍵を受け取りながらやっと一番初めに聞くべき事を聞いた。
「      ん」
 すると晩玄は制服のポケットの中から四つに折りたたまれた一枚の紙を取り出した。
「なんですか」
 手に取る。
「       今度の生徒会会議のプログラム」
「わざわざ届けに来てくれたのですか、有難うございます」
「      ん」
 晩玄はそれだけ言うと後ろを向き帰り始める。障子に手をかけたときに国定は後ろから声をかけた。
「晩ちゃんもう帰るのですか」
「      多分」
「お茶飲んでいきませんか」
「      いらない」
「では今日は一緒に帰りましょう」
「      帰る」
「ではここで少しお待ちいただけませんか?葉桜さんにお茶を出すので」
「      俺はこの部屋が嫌いだ」
 それだけ言って障子は閉まりガラス戸の開いてしまる音がした。一度も振り返らず、晩玄は言うことだけを言ってさっさと去った。
「国定」
 その一部始終をみていた弓狩はいつの間にか自分で入れた茶をすすり、
「よくあれで話が通じるな」
 と感心する。おそらくあれだけあの番犬と意志の疎通が出来るのは国定くらいのものだろう。
「いえいえ、端から見ると葉桜さんも結構あんなものですよ」
「……そうか、」
「どうししました?なんだか元気がありませんね」
「別に」
 そして立ち上がる。
「あれ、今日はもう帰りますか?」
「君は他人を待たせているのだろう。さっきの犬軋のせりふからだと外で君が出てくるのを待っているのではないのか。僕は練習に行く」
「…そうですね。じゃあ、片付けて俺も帰ります」
「そうしろ」
 弓狩が立ち上がり、国定が座った。
 そして、全く先ほどの晩玄同様障子を開けて…
「葉桜さん」
 彼女に声をかける国定。
「ん?なんだ」
 国定はにこりと微笑み
「なんだかんだ言って葉桜さんも優しい人ですね」
「……まあな」
 まるで当然のように言い放ち、障子が閉められ弓狩の姿は遮断された。よって国定はその弓狩の表情が少し緩んだ事など知る事はなかった。

 





 犬軋晩玄。国定を怪人と呼ぶ数少ない人間の一人。国定は怪人と呼ばれるがその語源は彼の中学生時代を知るこれまた変わり者の人間がそう呼ぶのをまねたことらしい。実際に彼を怪人とよぶものはほとんどいない。
「       怪人」
 例えば、晩玄以外に。
「ん?なんですか晩ちゃん?」
「       それは」
 突然の晩玄の問いに内心国定は驚いていた。あの、晩玄のほうから会話を始めるというのは至極驚くべき珍しい事だったからだ。そしてその手に持つものとは、ジャムパンだった。
「ジャムパンですよ」
「       じゃむ」
 晩玄はジャムパンを知らなかった。昔あんぱんは食べたことのある晩玄はそれもやはり中にジャムが入っているのだろうか?と思った。
「ジャムパンにはジャムが入ってますよ。もちろんウグイスパンにはウグイスははいっていませんが」
 その言葉に晩玄はショックを受けた。
 うぐいすぱん?
 それは?
 普段からお金を持ち歩かずコンビニエンスストア『導尊』もスーパーマーケット『まるいち』も駅前のパンのフジムラにもよった事のない晩玄にはウグイスパンが一体どの様なものなのか想像すらできなかった。うぐいすあんの存在を知っていればそんな迷いもなかったことが悔やまれる。

 そして話は変わり、国定は晩玄に停まった時の中に生きる者、風に姿を変える男など、このごろの話をしていた。こんな話は、国定は弓狩にすらしていない。彼がこんなことを話すのは、自分のことを怪人と呼ぶ、幾人かの昔からの友達。
 何故か変わったことに巻き込まれる国定。そしてその影響を喰らう犬軋晩玄。電車通学の二人は、いつものように駅で電車を待っていた。

「あ、電車がきたみたいですね」
 警報遮断機の警告音が聞こえ始める。立ち上がる国定に続いて晩玄も席を立つ。晩玄はカルチャーショックを受けていた。
 きっとその時刻、四時五分発の電車などないことに気付いていないのだろう。
 
 そしていつものように、茶道部の怪人は危険な橋を知らず知らずのうちに渡っている。


 




 帰り道の電車の中。国定と晩玄は会話をしている。
 実際は晩玄のほうが背は高いものの、驚くほどの猫背の晩玄と意味が無いくらいの背筋の伸びた国定が並んで座っていると、その頭の位置の差が強調されて見える。
「      うぐいすあん…」
「ええ。大抵は小豆あんに抹茶で色付けたものです」
「      」
 感動しているらしかった。
「       葉桜は毎日来ているのか」
 そのいきなりの話の転換も感動ものである。
「ええ、そうですよ」
 何故突然そんな話になるのかはよくわからないが、続きを待つ。
「       お前は葉桜の事どう思う」
 直球勝負もいいところである。
「どう、って。とても素敵な人ですが…晩ちゃんは葉桜さんが嫌いなのですか?それで、葉桜さんに遭うのが嫌で茶道部部室に入るのが嫌なのですか」
 天然ボケも一種の才能である。
「        葉桜は、お前のこと好きだぞ」
 それを言っちゃあお仕舞いなのだが、言ってしまった。
「ええ、俺もすごく好きな人ですよ?祐希把と同じくらい好きな友達かもしれません」
 ちなみに待崎祐希把(まつざきゆきは)とは『国定五人衆』のひとりだった女である。
 そんな模範解答を聞かされては、
「      不憫」
「誰がですか?」
「       葉桜」
 国定は首を傾げた。






「あ、怪人さん」







 突然誰かが声をかけた。間違いなくそんな呼ばれ方をするのはこの男のみだ。しかし、誰がこの男にその名で呼びかける?
 振り返ると、そこに一人の女の子がいた。泥だらけの赤い着物、銀のかんざしが髪にささり、両の足でしっかりと立っている、幼い、見た目は八歳程度の、女の子。
 国定は、彼女を知っていた。
「あ、貴方は確か……あ、あか…」
「紅月旗女(あかつきはため)です………」
 その少女は裸足で電車の中にいた。
「あ、そうでしたそうでした、紅月さんお久しぶりです、え、と。前にお会いしたのは…夏休みの時ですね」
 奇妙な風体の彼女にもまったく違和感を感じない国定は普通に返す。
「あ、お久しぶりです」
 旗女というらしい彼女は思い出したようにぺこり、と頭を下げる。見た目は一ケタだがしっかりしている。
「どうしました?電車に乗るなんて?あの交差点から離れられないと聞きましたが」
 すると、旗女は嬉しそうに
「それが、おかげさまで足が完治したんです」
「へえ、それは良かった」
「はい、全部……全部……国定さんのおかげです。国定さんが、私の足を探してくれたから…」
 突然その目に涙を浮かべる。
「わ、ちょっと、紅月さん泣かないで下さい」
「あ、すいません、なかれたりしちゃ迷惑ですよねごめんなさい……」
 そしてその顔を無理矢理笑顔に歪ませ
「でも良かった。又貴方にあえて」
「そういわれると照れるますね」
「       国定」
 話から逸れていた晩玄が話の中に入ってくる。
「       誰」
「ああ、この人は自縛霊の紅月旗女さんです」
 さらりと爆弾発言。
「       幽霊」
 ぎろり、と旗女というらしい彼女を睨みつける。
「       貴様」
「え、どうしたんですか、私変な事しましたか、え、あ、あ、あの、私、ど、な、ななにかしてしまいましたかか?」
 あまりこういう手合いになれてないのかかなりの怯えようだった。
「いえいえ、晩ちゃんもこう見えて霊感が強いほうで、そういう凶暴な手合いの方ともよく遭うので警戒しているのです。大丈夫ですよ晩ちゃん。紅月さんは突然噛み付いてきたりしません」
 ならば国定は一体何なのかといった気の利いた質問をする人間も幽霊もいなかった。
「はい、噛み付きません」
 それで納得したらしい。話題を変える。
「ところで紅月さん、足が治ったってことはつまり」
「はい、私もはれて冥府に旅たつことになりました」
「そうですか、それは良かった……ことなんですか?」
「はい!」
 満面の笑顔では旗女は答えた。そして
「それで今日、この冥府行きの列車に乗っているんです」
「ああ、もう行くのですか」
「はい、……でも、実は私、もうちょっと居たいとも思ったんです。だってせっかく国定さんに出会えたのに………」
「ちょっと待ってください!」
 国定は慌てた。
「今なんて?!」
「え、で、ですから…」
 旗女は少し顔を赤らめて
「く、国定さんに出会えたのにもう遭えなくなって寂しいです…って」
「いえ、その前」
「え、で、ですから…」
 旗女は袖で顔を隠しながら
「私、もうちょっと国定さんと一緒に居たいです…って」
「いえ、もっと前」
「え、で、ですから…今日、この冥府行きの列車に………」
「………………」
「      」
「………………あ」
 旗女も気付いた。
「あの世行きの電車に何で俺たちが乗っているのです?」
 そこでいきなり話を振られた晩玄も
「      知らん」
 としか答えられなかった。


「切符拝見します」


「へ?」
 突然、国定の横にいつの間にか人が立っていた。声がしなければきっといつまでも気付かなかったであろうあまり清潔感のしない制服に身を包んだ車掌とおぼしき男だった。名札には『夜夜』と書かれている。名字だろうか?
「はい」
 とりあえず定期を見せた。
「違います違います。切符ですよ切符」
「え…切符は、持っていませんが」
「           」
 晩玄も持っていないらしくそういうニュアンスの首振り。すると
「これですね」
 と旗女がぼろぼろの紙くずを取り出す。車掌はそれを読み上げた。
「え〜と?紅月旗女さん、昭和☆☆年生まれ、平成(はあと)年死亡。死因爆死、殺害、自縛霊として六年滞在。このたび成仏許可……と、ハイいいですよ」
「なんかそういうシステムのようですね」
「でもなんで切符ないのに電車に乗れちゃったのかなあ」
 と車掌は二人をみて首を傾げる。
「あの、聞いていいでしょうか?」
「ん?なに?」
「この列車。どこ行ですか」
「どこって……」
 上を指差す。
「あの世」
「もしかしてこれって死後の電車ってやつですか?」
「YES。四時五分発。つまり死後(しご)の電車」
「俺と彼。生きている……と思うのですが」
「……………」
「………」
「あいたたたー」
 まずい事になった。

「よくいるんですよね、乗っちゃう人」
「日常茶飯事ですか?」
「神南は数少ない停車駅なんですけどね、結構乗る人もいたりするんですよ」
 そういえば行方不明者がちょくちょくでるという噂があった気もした。
「で、その人たちは?」
「死にました」
「うわーん」
 泣いた。
「まあ、人生一回は死ぬんです」
「いやですよおおお」
 急に弱気な国定。
「晩ちゃんどうしましょう」
「        」 
 晩玄が何かを言おうとしたとき、それは起こった。
「あー、すいません、そろそろ十院駅、通過しまーす」 
 車掌のアナウンス。気が付けば二人の降りるべき十院駅。
 このまま通り過ぎると二度と戻れない事確実な気がした。
 駅のホームが近づく。なのに、電車が止まる気配零パーセント。
 どうする?
 どうする?
 どうする?
 あいふる?
 

 すると晩玄はおもむろに窓を開けた。
「晩ちゃん?」 
 三人の目の前で晩玄はホームを通過しだした列車から身を乗り出す。
「え?」
「え?」
「まさか」
「       国定」
「はい」
「       降りよう」

 そして番犬は飛び出した。
「うそお!」
 時速八十キロの世界からコンクリートの地面にダイブ。思い切り叩きつけられると思いきや、晩玄は着地した。
 それは階段を三段飛び降りる程度のように、すたっ、と普通に着地した。
「        」
 そしてともに飛び降りるだろうはずの国定を待つ。
 
 こない。振り返る。
 電車は駅をとおり過ぎようとする。
「晩ちゃ―ん、それはいくらなんでもむりですよーーーー」
 窓から国定がそう叫んだような気がしたが、振り向いたときには、もうあの電車はどこにも見えなかった。
 信号遮断機がなることさえなく、電車は消えた。 
「       」
 晩玄はじっと線路の先を見据えている。

 
 
 
 電車が走り続く。
 






「ああああああああああ」
 国定は絶望の雄たけびをあげる。
「どうしよう」
 夜夜が慰める。
「まあ、人生そういう時もあるさ」
 ない。
 旗女も何とか言おうと頑張る。
「き、きっといいことありますよ」
 ない。
 電車は無情に走り続く。
 窓外の景色はもはや日本とは思えぬような、薄暗い所。
 それを見て、そして意を決して、旗女は伏す国定に言った。
「あ、あの」
「はい?」
「よかったら、一緒に逝きませんか?」
「……え゛!」
「そ、その。一人じゃ不安かもしれないですけど、私と一緒ならそんなに怖くないと思う…んです」
 無茶苦茶とはこのことを言う。しかし、当人は本気。
「私、殺されて、すごく痛くて、お母さんにも会えなくて、すごく泣きました。でも、国定さんのおかげで泣かなくてもよくなりました。だから、私ずっと、ずっと国定さんのためなら何でも出来ます」
「………………」
「………………」
「……………駄目ですか?」
 そんな一途な告白を聞いた後、この勘のド鈍い男は…………
「紅月さん。…」
「はい」
「心配してくれて有難うございます。………、でも、俺には、まだ会いたい人がいるんです」
「……え」 
 だから、もうちょっと頑張ってみようと思います。そう言って、国定は幽霊電車脱出の方法を考え始めた。



 電車は、走り続く。









 次の日の放課後。
 葉桜弓狩はいつものように茶道部部室にいた。しかし、いつものように、彼女の目の前にいるはずの男は、いない。晩玄に聞いても、かの男は弓狩には言葉は発しない。
 弓狩は、何もせず、つまらなそうに、秋の気配を感じさせる景色を眺める。
「…国定」
 つい、口にした。そして、 
 



 足音。

 入り口を見る。開く。
「葉桜さん。会いたかったですよ」
 突然現れた国定は、彼女を見るやそう切り出した。
「……どういう意味だ」
 表面上はいつものように怒っていながら、内心少し狼狽する。
「昨日お茶をだせなくてすみません。だから今日はお会いしてきちんとお茶をお出ししたい思っていたのです。今日中に帰ってこれて、本当よかったです」
 何故国定の制服が焦げていたり千切れていたり本人の体中ににも生傷が多いのかは、弓狩には少しも見当が付かない。そういうことは、彼は言いたがらない。
 けれど、まずは彼女のためにここにいるということに、それだけで、満足しておこう。
 弓狩は、そう思った。

「……そうか」
「え?何か言いましたか?」
「国定、茶」
   
 そう言った。

akiyuki [IFfsL-xQIpa-Fimdg-kXjox] 2004/02/08(日) 17:37:10

遊ぶ鯉

 その生物には我々でいうところの名前と言うものが無かった。彼は今まで独りで生きてきて誰かに声をかけられるなどと言うことは無かったし、誰かを必要ともしてはいなかった。だから、強く、千と数十の年月を生きる事が出来た。
 不老不死。生態系の頂点に立つ人間が最後に望むそれを体現し、その生物は生きていた。便宜上それが自分を呼ぶ時の言葉をそれの名前とし、性別はないが呼びやすく彼とする。彼の名は、人間の発音でフロッグワード卿という。

 その日、フロッグワード卿はほんの少しばかり後悔していた。というのは彼はその日人間の町を散歩していたときのことだ。
 フロッグワード卿はあまり人間が好きではない。しかしさして嫌いと言うわけでもない。ぶっちゃけ気分屋の彼はその日、なんとなく人間の子供を助けた。
 それはいつものようにぶらぶらしているときのこと。フロッグワード卿は空に何かを見つけた。見上げてみるとそれはフロッグワード卿の何倍も大きな魚。それが空を泳いでいた。魚が飛ぶものではないと知っているフロッグワード卿が目を凝らしてよく見ると、それは布に魚の絵を描いた旗印のようなものだと気が付く。フロッグワード卿にはそれが『鯉のぼり』という名称があることなど知らないが、それが春も終わろうという季節人間達がどこからか持ち出してくる食べられないものということだけはわかる。それだけの知能はある。そしてフロッグワード卿の興味を引くには物足りないものと言うこと理解しており見上げるのをやめ、ぶらぶらし始めていると、
「きゃあ」
 人間の子供の声だった。道路を挟んだ向こう側の歩道。そこからこちら側、フロッグワード卿が歩いている歩道、この真上に浮かぶ鯉のぼりを見上げて喜んでいるらしい。 物好きなものだ。
 フロッグワード卿が思うのはそれだけだった。
 
 だから、その子供がもっと近くで見ようと道路を渡り始めて、そんな事をするとは少しも思っていないだろうドライバーの運転する紅塗りの高級車が突っ込もうとしても別に気にしなかった。
 ああ、轢かれるな。
 フロッグワード卿はその程度にしか思わなかった。
 
 のに、あの車輪が四つついた動力機関(彼は自動車なんて名前は知らないしこれからも聞かない。ガソリンで動くということは知っているがあのうるさい音が嫌い。それにのる人間も嫌い)にはねられそうになった子供(それにしてもいきなり道路にとびだす間抜けだった)の首根っこを銜えて引っ張っていた。
 車が通り過ぎたとき、道路に飛び出していた子供はいつの間にか向こう側の歩道まで渡りきっており、無事だった。しかし子供がフロッグワード卿に礼を言う事はない。なにしろフロッグワード卿はその姿形からまさか卿が自分の命の恩人などと子供に思わせなかったし、第一フロッグワード卿は人間の言語がしゃべれなかったので礼を言われても何も言い返せない。それでフロッグワード卿は代わりに撥ねられた自分の片足を引きずりながらどこかへ行った。子供は何かを言おうとしていたが、無視した。
 辺りに人は一人もいない。
 風に泳ぐ魚もどきだけがそれを見ていた。フロッグワード卿は自分の行動には一切の主張主義をもたせず、すべてはその時の気分で決める。と決めていたので足の怪我もまあ、そんなものだろう。と割り切ることにした。…がやっぱり痛むのでほんの少し後悔する。
 フロッグワード卿はふと、空を見上げる。気持ちよさそうに流れる鯉のぼりが見える。この季節になると現れる空飛ぶ魚の幸せそうな動きがよけいにむかついた。

 

 それから少ししたある日、フロッグワード卿は自分はの馬鹿さ加減に呆れた。彼は一向に痛みの引かない右足が治るまで、どこかでじっとする事にした。どこか人のいない、それでいて暖かくて日当たりのいい、餌が豊富な寝心地のよい、そんな物件はないものか。と街の中を歩き回っていた。こういうときは山の中にでもいけばいいのだがフロッグワード卿の体の大きさとその町を出るまでに歩く距離の事を考えるとそれも面倒くさいような気分になったり。
 フロッグワード卿はその日の気分で生活を決めるのでなんとなく目に留まったその建物に入る事にした。門のある大きな建物だった。毎日毎日千人近くの人間が出入りするその施設。看板には『愛姫県立和木坤高等学校』と書かれてあったがあいにくフロッグワード卿は文字が読めなかった。だからどーだこーだ言う事でもなくダルカヌゥンはどこかゆっくり出来るところを探すことにした。が三十分もしないうちに校舎の屋上がナイスなことになっているのがわかる。
 大体こういう建物の屋上は立ち入り禁止になっている物なので、フロッグワード卿はそこを寝床にすることにした。さっそく、横になる。こうしてじっとしていれば足の痛みも忘れられる、腹が減ったらどうするかということも考えるが、ぶっちゃけ不老不死なので一年くらい飲まず食わずでも平気だったり。寝返りをうつ。うとうといい気分。目が閉じかかり、
 そして目の前、フェンスの向こう側になにかがうごめいた。目を開ける。
 なんだ。
 フロッグワード卿は上半身を起こし、それを見やる。
 そこには、例の大口を開けた食べられない魚がただよっていた。
 どうにもあまり自分とは相性が良くないような気がしてちっ、と舌打ちをしたが、なんだか動くののもしゃくなのでふてねした。死んだように眠りこけるフロッグワード卿(もちろん彼は死なないが)。本当に疲れていた。だから屋上につながるドアがぎい、と音をたてて開いても気にしなかったし、そこに現れた妙に目つきの鋭い背丈のどちらかというと低い女の子がやってきても、気付けなかった。

 彼女はフロッグワード卿を見た。気配に気付きフロッグワード卿も彼女を見た。
 卿の嫌いな管理人(よく建物に入ると追い払われる)のようなのではないが、かといってあまり歓迎しているような表情でもなさそうだった。
「なんで君がここにいる?」
「…」
 何を言っているのかよく解からないが、どうやら縄張りを荒らされて怒っているらしい。フロッグワード卿はつまり、誰もいなくてこんなに気持ちいい場所なら、誰もいなくて気持ちいい場所が好きな誰かがいるかも知れないと言うことに気付かなかった自分を馬鹿だと思った。まぬけな顔をしたこいのぼりがフェンスの向こう側で泳いでいた。
 ちょっと、ムカついた。
 
 
 その日、フロッグワード卿は奇妙な人物に出会った。この学校の屋上に足が治るまでいることにしてはや三日。毎日この時間帯になるとあの女と、もう一人がやってくる。
 来た。
 そいつは体の大きい、藍色の衣を着た男だった。色黒の怪しい男だった。
「状態はどのようですか?フロッグワード卿」
 その男は見ただけで言葉が通じるはずのないことがわかる卿に聞いてきた。というより何故か自分の名を知っている。
 何者だ。
 しかしなんとなく詮索する気分ではなかったので、そういうことの知っている人間だと思うことにした。まあ、こういう怪人にも、何回かあったことがある。
 彼を無視する事にした。
「俺はよく怪我のこととかわかりませんが、葉桜さんはあなたにご執心のようです。つきっきりで看病してくださるみたいですから、ご安心ください」
 無視した。
「ですからこのごろ俺の部室にも来てくれなくて、少し寂しいんですよ」
 尻尾を持ち上げて振ってみた。
「ちょっと、嫉妬です」
 あくびをした。
「あ、自己紹介くらいしておきますね。俺は国定と言います。人によっては怪人と呼び捨てにされますが。わかります?く、に、さ、だ、か、い、じ、ん」
 どうやら名前を名のったらしかったが、フロッグワード卿には人間の名などどうでもよく、適当に国定と呼んでみる事にした。フロッグワード卿はは気分屋だったので別になんとなく呼ぶことにした名前だったが、妙にその男にしっくりくる呼び方だった。そういえば、昔、たしか三年ほど昔、国定を名乗り、やっぱり自分に話しかける阿呆がいた。
「君は一体何を言っている?」
 違う声が聞こえた。
 耳をぴくりと動かしてその声の方向を見る。
 その先にいたのは、上は白く、下は群青のいまどき珍しい和装。あの目つきの悪い背の小さな女であった
 その手には皿が乗っている。彼の目の前にそれを持ってくる。
「喰らいなさい、ぐし」
 このしばらくの付き合いでわかったことだが女は自分のことを『ぐし』と呼んでいるらしい。そしてどうやらこの国定は、自分の名を女に教えてないらしい。
 フロッグワード卿はなんとなく、目の前に盛られた飯を食えということなのだろうな。と得心し、食べることにした。
 不死者たるフロッグワード卿に食事は必要なかったが、食べたほうが治りが早いのは早いのでがっついた。
 あまり、うまいのかまずいのかわからない味だった。
 そして、食べながら二人の人間を見る。二人は何かを話している。良くはわからないがぐし、ぐし、そしてなぜかすし、という言葉を連呼しているので多分自分のことを話しているのだろうと思う。二人を見ていると随分と親密なようで、多分カップル(これは彼が知っている数少ない日本語)というものなんだろうな。と思う。
「君はどう思う」
 女は男にに容態を聞いたらしい。
「ぐしって名前もまた、おつですかね?」
 この男、ボケか?
「違う、ぐしの容態を聞いている」
 女は何か怒った顔をして国定に言い返す。国定は泣きそうな顔をして一言、了承の言葉を返した。そんな二人を見て、そして包帯をまかれた自分の足を見た。
 あの日、女が自分を見つけて最初にしたことは足の治療だった。おかげで全治まであと一週間はかかると思っていた怪我も、明日には終わりそうである。残念ながら礼を言うにもフロッグワード卿には人間の言葉はわかっても、肉体構造上から、喋ることが出来ない。お礼に何かをしようにもなにをしたら喜ぶのか見当も付かない。そんな彼の考えに気付いたのだろうか、女は何か言った。
「礼なんぞいらない。僕は助けたいと思ったから助けただけだ。感謝される覚えなどない」
 そう言った。
 怪我の原因でもある、かつて自分が子供を助けたときに思ったことと同じことだった。
 フロッグワード卿はなんだか奇妙な気分になった。
 鯉のぼりは、いまだ空に居座っている。

 



 その日、フロッグワード卿は四つの足で立ち上がれるようになり、怪我が治った事を素直に喜んだ。すぐにでもどこかへ行こうと思ったが、なんとなくあの女が気になった。いつものように、気分で決めて、なんとなく、もう一度会ってみよう。
 あの女の来る時刻まで寝ることにする。陽気なぽかぽかした気候だった。
 まどろみ。うつらうつらと至福の時を過ごす。
 
 どれくらいの時が経ったのか。あまりそういうのに無頓着なフロッグワード卿には推測もできないが、しばらくして目を覚ます。
「…………………」
 奇妙な気分だった。何故かいつの間にかそこに来ていたあの女の膝の上で、卿は目を覚ました。
 見上げる。あの幼い鋭い顔をする女が、うつらうつらとしていた。
「にゃあ」
 起こすため、自ら声を出す。
 反応。女も目を覚ました。そして、フロッグワード卿の頭を撫で、顎の下をさすってやる。まどろみが再び襲う。けれど、その時間は彼女の一言で終わる。一言。
「ぐし」
 フロッグワード卿はその一言を聞き終わると女の膝の上から飛び上がり、その雄姿を見せる。何か納得したような女の顔を見て、去ることを決めた。だからとりあえず、こう言った。
「にゃあ」
 

 ……礼を言ったが、伝わったのだろうか?
 なんとなく気がかりではあるが、卿の性格が性格なので校門をでるころにはすっかり忘れた。






 屋上。一人座り込み、日向ぼっこの少女。
「葉桜さん」
 葉桜弓狩は声をかけてきた後ろの男に返事する。
「国定か?」
「ほかにいますか?」
 国定は辺りを見回し、
「あれ?フロ…、ぐしさんはどこですか?」
 四日前から住み着いたあの生物を探す。
「帰った」
「どこに?」
「そこまでは知らん」
「そうですか…でも残念でしたね。葉桜さん、可愛がっていたじゃないですか」
 そして地面の、あの皿をみて、
「あの猫さん」




「別に。私は助けたいから助けただけだ」
 そして空を見る。何を見ているのか。弓狩は、空を見上げ、おそらく何か過去を覗くような、薄く開いた目で、何かを考えている。国定は、何も言わず、弓狩が何かを言うのを待っている。
 そして、弓狩は何かを語るため、息を吸った。
「昔のことだ、僕は車にはねられそうになったことがある」
「はい」
「しかしはねられなかった。何を言っているのかわからないだろうが、撥ねられるはずだったのに、僕は無事に道路を渡りきっていた。誰も目撃者がいなかったので皆は僕がうまくよけたように思っている。けれど僕は確かに、誰かが道路側から引っ張ってくれたのがわかった。車が逃げていって、あわてて周りを見回した時、そこには血だらけの猫がいた。私には何故か無性に、その猫がかばってくれたような気がしてならなかくて、お礼を言おうとしたら次の瞬間には、その猫はいなかった。……気のせいかもしれない。僕の勘違いかも知れない。けれど確かに誰かがいたような気がしてならないんだ」
「……」
「そして四日前、ぐしを見つけた。驚いたよ。なにしろ『十年前』、僕を助けてくれた猫と全く同じ姿でその時の怪我と全く同じ所を怪我して現れたんだからな。だからどうしても、どうにかしてやりたかった………」
「……」
 国定はほんの少し考え、
「まさに猫に恩返しですね」
 とほざいた。
「うん。…ところで国定、あれはなんなんだ?」
  指指すのは校旗が翻るはずの柱にくくりつけられた三匹の鯉のぼり。
「それが俺にもわからないのですよ」
「僕は君のせいだと思っていたぞ」
「非道いですねえ、それじゃあこの学校のわけわからんのは全部俺のせいみたいじゃないですか」
  弓狩は至極不思議そうな顔をして
「違うのか?」
  首を傾げた。

 


 フロッグワード卿は落ちていた鏡を覗き込む。そこにはつぶらな瞳の子猫が映る。とても千数十年の時を刻んできた貫禄も威厳もない。しかし、その輝くほどに美しい銀色の毛並みはあせる事もない。
 十年前に大怪我をした足も、やっと治った。とはいっても彼にとっての十年はそれほど長くはなく、少ししたある日程度のものだ。昨日と変わらないようなものである。だからと言って他の生物にとっての十年は長いものであって、かつて怪我の元凶となったあの女の子の成長した姿など気付かない。
「わー、かわいいー」
 フロッグワード卿は振り向いた。女子高生(これも彼の数少ない語彙の一つ)らしき一団が彼を囲む。
「にゃあ」
 なんとか拒絶の意思を示したかったが悲しいかな、人間に猫の言語は通じない。
「にゃあ」
 頭をなでられ、首をさすられる。
 これだから人間は嫌いなんだ。などと思う。先ほどと同じことをされてはいるが、不快指数二百パーセント。
 よく言うだろう、猫は気まぐれと。

  空に遊ぶ鯉が恨めしい。

akiyuki [IFfsL-KdXyl-LyKFU-inZqb] 2004/02/09(月) 21:40:47

平四郎の末

 どうしました?葉桜さん。…え?俺が茶道部に入った訳?……いや、別にそんな深いわけはないですよ。どうしたのです?…え、聞くな?…まあ、葉桜さんも言いたくないことくらいありますよね。ああ、そうそう俺が茶道部に入った話ですか。そうですね。やっぱりお茶が好きだからですよ。俺はおじいちゃん子でしたから、いつもじいちゃんの隣にいました。じいちゃんはいつも苦いお茶を飲んで俺にも勧めてきました。俺はあの緑色が嫌いで嫌いで仕方がなかったのですが、じいちゃんに勧められては断りようもなく、我慢して飲んでいました。…でも、ちょうど、六年くらい前です。そう、妹の華刃(かじん)が死んだ年です。…俺ふさぎ込んで、ずっと部屋にこもってました。晩ちゃんや、猿くんが、よく俺を励ましに来てくれたんですが、俺、ずっとふてくされてました。…そうっすね、でも、やっぱり……。そんな時です。じいちゃんは何も言わず俺を茶室に連れ込んで、茶を飲ませました。…その時じいちゃんは俺に初めて、一期一会と輪廻転生について教えてくれました。…俺はそれを聞いて、そして飲んだ渋い茶の味を、忘れることは出来ないでしょう。……多分、それが茶を始めた理由でしょう。
 ………、え?茶道部に入った理由になっていない?ああ、そうですね。……ただ、この話は余り面白くない…というかつまらないですよ?構わない?そうですか。……なら、少し昔の話をしないといけませんね。 
 …俺は七人家族でした。俺と妹二人、父さん母さん、あと同居しているじいちゃん、あと…お兄さん。俺のお兄さんは俺の憧れです、今ももちろん俺の目標っすよ。どこがっていわれると答えようがありませんが、俺よりも体も心も大きくて、俺が怪人なら、お兄さんは巨人です。一緒にいて楽な気持ちになれる。そんな人だった。……………ええ、『だった』んです
 
 消えたんですよ。
 ある日、学校に行ったっきり、突然行方不明になって、それから帰ってこないのです。もう、三年前から………。最後に見た人の話だと……消える直前までこの学校の中にいたそうです。そして、ある部屋に女の人と入っていくところを見た、と…………。
 つまり。この部屋です。
 ええ、この、お兄さんが最後に見られたのはこの、茶道部部室だったんです。
 …俺の勘なんて当てになりませんが……、お兄さんはここで、消えたんです。ここで、最後を迎えたんです……きっと。……本当のところ、きっとお兄さんは死んでなんか無くて、どこかに普通にいて、ひょっこり帰ってくるんじゃないかって思う時もあります。きっと、突然この部屋に、いつものように居座って、お茶を飲みながら俺が来るのを待っているんじゃないのか、と思いながらこの部屋の障子を開けています。お兄さんの好きだったクラシックをかけていれば、そのうちひょっこり現れるんじゃないかって………。母さんや、じいちゃんは、もう忘れようとしているのかも知れません。でも、多分、葉刃(はじん)、あ、俺のもう一人の妹です。葉刃も、きっと高校はここにして、俺の後を継いで、お兄さんを待つと思います。
 
 …………。ごめんなさい。あんまり面白くない話でしたね……そうですか、そう言っていただけるとうれしいです。え?お兄さんの名前?それは、国定…国定平四郎(くにさだへいしろう)と言います。

 





 平四郎か……いい名だ。ところで国定、僕はどうしても、もう一つ聞きたいことがある。
 君は誰だ?
 いや、そうじゃない。僕は君が何者なのか全然知らない。君が十院に住んでいて、怪人と呼ばれていて、変わった男であることは知っている。けれど、その先が一つもない。名簿を見れば、君の名前くらいわかるだろう、なのに、誰も彼もが君を国定としか呼ばない。君がどこに住んでいるのか、君が一体何が好きなのか、僕は何も知らない。唯一知ってそうな犬軋は僕には口を開かない。君は、一体何なの?…もし、よければだが、君のこと……教えてくれないか?君の口から………いやなら、構わないが。………君は、誰だ。………え?怪人?違う。僕は君が怪人といわれる理由が知りたいんじゃない………君の名前が……………………なに?………なんだと!つ、つまり。




「だから、俺は国定海仁(くにさだかいじん)って名前なんですよ」



 終

akiyuki [IFfsL-KdXyl-LyKFU-KZXIF] 2004/02/10(火) 18:03:47

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