冬枯れの君と魔法使い

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おやまです。数年前にここで何本か未完成の作品を公開していました。
最近急にまた書きたい病に憑かれたようです。
せっかくなので、その作品を公開します。

原稿用紙40枚程度の小編です。体調を壊さない限り、数回に分けて毎日更新致します。

出戻りですが宜しくお願いします。

作品名:冬枯れの君と魔法使い
ジャンル:ファンタジー(メルヘンより)

おやま [BBZsJ-jBvcP-XzDuz-saovK] Mail 2004/09/06(月) 20:06:09

ランプ
 火も消えたランプがあった。火の名前は意識という。
 ランプの窓は曇り、骨格をなすぶりきは青くさびていた。さびは少しずつ、今もランプを蝕んでいる。
 糸を束にして編まれた毛糸の紐の芯はまだ燃え尽きてはいない。ただ、ランプの口に残る芯はとても少なく、ほとんどは油壷の中に沈んだまま。芯を噛むぶりきの口は、己の重さで芯が油にゆっくり沈むくらいにゆるくなってしまった。ゆるくなった原因は、病という金属を削るもののせいだった。ひっかかった芯の口の歯は細く錆びに削れて尖っていた。それが少しずつ、自重に沈んでいく芯の紐を切り、ほぐしていた。
 ガラスは手を引っ込めるほど冷たい。油も冷えてしまった。
 火をつける者がいなければ、あとは芯は重力にしたがって油に落ちてしまうだろう。
 誰もランプに注目しなければ、このまま忘れられて、ゆっくり油は固まっていくだろう。芯を封じて。
 冬の足音とともに、油を構成する微小な粒の動きは小さく小さくなってきた。今日もまた、紐の糸が一本切れた。

おやま [BBZsJ-jBvcP-XzDuz-saovK] Mail 2004/09/06(月) 20:08:55

病名
 影を無くした世界に向ける感覚は、寒さすら呆然としたものとして心に伝えた。
 その感覚が、まだ瑞々しいものであったとき、一つの約束を交わした。
 この小屋で待つと。彼は伝染病だった。冬枯れという。冬の季節に枯れていく木のように、少しずつ感覚が鈍り、そして死に至る。
 必ず薬を持って帰ってくるから。彼にむかってそういった、友らは健康だった。
 それからどれだけの日が流れたのか。夢と現実の境目があやふやになる朝、祈りのように友らのことを思い出し、その言葉を胸の中で反芻した。
 その時はまだ季節は秋だった。体も動いた。だから、食べられるものを探した。ここは秋は実り豊かな谷だった。木の葉と同じ色をした兎が多かった。泥と同じ色をした兎が多かった。幹と同じ色をした鹿もいた。夜は鹿の骨を削って細工をした。
 やがていやでも気付いた。自分の指先が思うように動かなくなってきたことに。

 一人でいることはさびしいことだと思った。
 毎日どれだけの言葉を口にしただろうか。その中で、人の幸せを祈ることも、愛を語ることもどれだけあっただろうか。それがなくなることは、さびしいことだと、持っていたころは思っていた。
 最初のほうはそれでも毎日二回は同じ言葉を口にした。食前の神への祈り。
 しかしそれは慰めにもならず、すぐにやめた。とたんに彼は寡黙となった。どれだけの言葉を覚えているのか、もはやわからない。受動的に口を開く機会は失われてしまったのだ。約束が果たされる時まで。
 そして、とうとう秋の終わりに彼は動くことができなくなった。地面を踏む足の感覚がとうとうなくなった。ぶらぶらとした足は、もはや彼のものではない。指先も自由がきかない。誰も彼の手足の換わりになるものなんて、ここにはいなかった。
 医者に診断された時、目の前が真っ暗になった。言葉で視神経が失われることをこのとき彼は初めて知った。
 伝染性の神経病、冬枯れ。最期には、あらゆる神経がやられて死ぬ。
 体の先からどんどん神経が通じなくなってゆき、体を動かすことすらかなわなくなる。口も動かせなくなり、そして最後は血の脈が死ぬか、生き続ける信号を出す頭が死ぬかで、命が終わる。
 もう二度と春は来ない。
 医者は嘘をいった、と思った。しかし今では違う。医者は自分が得られた情報から、素直な言葉をいったのだと。だが。どうしても。その言葉を思い出すたびに、理不尽な運命をつきつけた医者が憎くて仕方がない。
 その言葉に反発して、生きたい、生きたい、という思いが強く胸の内から沸いてきては、無力感に冷え、凍てついてしまう。何度も何度も何度も何度も。
 もしそのようなことをいわれなかったのなら、こんな気持ちにはならなかっただろう。
 必ず薬を持って帰ってくるから。
 仲間らはそういったが、どうも待ち続けることは無理のようだ。もう一人で食事を取ることも、下の世話をすることもままならない。
 自分の不甲斐なさに腹が立った。
 まだ戻ってこない仲間らに腹が立った。
 今の自分を取り巻く全てが、自分に悪意を向いているかのような気がしてきた。
 いや、気ではない。
 実際そうに違いない。
 だから自分は今一人で、誰もいない小屋の藁の上に寝そべっている。起きることもできずに。掴むものもつかめずに。
 そしてこのまま一人死ぬ。
 それは事実だ、受け入れなければならないという声も聞こえる。潔い部分だ。
 しかしそんなことは認められるわけにはいかない。そう思うが故に、苦しい。まるで自分が二つにばらばらに割れて別の生き物になってしまったかのようだ。
 思いは何も現実を変えやしない、こう動けなくなったらなおさらだ。
 生きなければならないと思うが都度、とても苦い思いを味わう。
 何度この繰り返しをしただろうか。繰り替えすうちに、世界はどんどん影をなくして、色を失っていった。こうやって目も見えなくなるのだろう。天井板は白く、さまざまなものも輪郭だけが黒かった。
 胸中の呟きを繰り返すうちに、望むものが少なくなってきた。
 大切なものは一つだけだと、冒険を共にした仲間はいった。その大切なものは何よりも自分だと。
 しかし、こう己が滅んでいくのであれば、それを大切にすることは果たしてできるのだろうか。それは、この思いを味わったことがないからいえたのだ、と彼は今思う。
 友は的外れのことをいったと、彼は結論した。すなわち、友は結局本当の絶望も、自分のこともわかっていなかったのだ。
 本当に友は友だったのだろうか。
 疑いは憎しみに変わる。
 今頃、自分のことを忘れて楽しく冒険を続けているのだろう。
 自分は捨てられたのだ。仲間達に。ありもしない薬を探すといって、病の自分の前から永遠に去る。
 どうして気付かなかったのだろう、それが普通じゃないか。誰が死ぬとわかった伝染病の人間相手にいつまでも友情ごっこをする?
 乾いた笑いは、わずかに吐息に唇がふるえるくらいのものだった。
 憎い。
 失われた色も、かつて青く映えた空の色も。
 憎い。
 ありもしない希望を抱かせたかつての仲間達、そして、今も幸せに笑っているだろう人間たち。
 憎い。
 四肢動かすことも叶わない己が。
 憎い。
 病を待つこともしらず、その日その日をぶらぶらと生きていた自分が。
 憎い。
 己の世界全てを握りつぶすつもりで、彼は手を宙に伸ばした。
 しかし、空気を仮想した世界は、指先からすりぬけていった。自由の利かない指先は、それらを捕まえることなんてできやしない。
 呪いの言葉をいくつも思いつく。言葉は泉のようにあふれてくるが、それは喉でとまってしまう。
 ひょっとしたら、声は出ているが、耳が聞こえなくなっているかもしれない。
 それがどうした。どちらともたいした問題ではない。
 声は外へ刺激を与えるものだし、耳は外からの刺激を伝えるものだ。
 自分だけの世界には、どちらとも必要のないものだからだ。
  こんこん。
 気のせいだろうか。
  こんこん。
 幻聴なのだろうか。
  こんこん。
 木の悲鳴が、彼に誰かしらの来訪を告げた。
 お迎えが来たのだろう。憎しみで固まった醜い醜い自分のお迎えが。
 きっと悪魔に違いない。

おやま [agAdw-YAule-IwCFS-DDfCZ] 2004/09/06(月) 22:13:16

願いと依頼料

 彼は天井ばかりを見上げていた顔を、扉のほうへと転がした。
 色を無くした世界、輪郭だけの世界は、確かに彼の目に来訪者の姿を見せてくれた。
「寒いんだ。入れてくれ。」
 妙な格好をしている。すっぽりと頭が収まるような帽子をかぶっている。顔は見えるが、髪も耳もすっぽりとその中に納まってしまっていた。服も妙だ。こんな谷の中なのに、ずるずると引きずるくらいに裾の長い
 何も彼がいわないままに、来訪者は内側から扉を閉めた。
 手は、来訪者に伸ばされたままだった。
「寒いのか、君も。」
 来訪者は、彼の前に藁を敷き、その上に座り込んだ。
 見るな、と、彼の恥を感じる意識と、来訪者の顔をよく見たい、という好奇心と、来るんじゃない、という良心がごちゃごちゃと入り混じり、彼は何もすることはできなかった。
「指先まで冷えている。無理もないか。」
 宙に伸ばした手は空気を掴むことはできなかった。だが、人に掴まれることができるようだった。指先から、じんと熱がつたわってくる。しっとりとした感触は皮膚の乾きには心地よかった。 
 不思議な人だと彼は思った。手を出されたら普通掴むものなのだろうか。
「差し出されていたら、掴みたいんだよ。熱が伝わるからね。」
 淡々と、来訪者は言った。心を汲み取ることでもできるのだろうか。
「しかし火もついていないと、寒くてかなわない。」
 旅人はあいた手で服の袖口から金属の棒のようなものを取り出した。それを火のない暖炉向ける。
 白黒の世界になってから、何度目かに目を疑った。
 暖炉に火が灯った。ただ、棒を一振りするだけで。
「何者か判らないものには、何者かは伝えないようにしているんだよ。」
 旅人はそういって首をかしげた。棒の先を唇にあてて旅人は尋ねる。
「君は誰だい?」
 喉から声は出たのだろうか。自分の耳には、はっきりと自己紹介は聞こえているつもりだ。そして、付け加えた。病が移るから速く他の場所にいったほうがいいと。
「魔法使いだ。魔法使いは人間の病気……君が持っている「冬枯れ」はうつらないものだから全然かまいやしないよ。仕事は人の願いをかなえること」
 どうやら悪魔の類が、最期に意気な計らいをしてくれたのだろうか。これはただの嘘なのだろうか。どうしようもなく弱っている自分をからかうための。面白くないと思いつつも、彼の口の端に笑みの形が浮かんだ。
「今は依頼人がいないからね。気に入れば引き受けるよ。」
 こともなげに自称魔法使いはいった。面白いことに、面白くないほどこの魔法使いは表情が変わらない。使われることを待っている人形のようだ。
 笑われることを承知で、彼は胸の中でわだかまっていた黒いものを、魔法使いに言葉という形で吐き出した。
「面白いことをいう。暇だから全然かまいやしない。」
 彼は目を丸くした。まさか承知という言葉が跳ね返ってくるとは思っていなかった。
「ただ、依頼料。」
 魔法使いは、部屋をぐるりと見回した。物色しているのだろう。
「何もない?いや、あるよ。」
 魔法使いの白くて細い手が、彼の手を握る力を強くした。
「君の命が欲しい。」
 彼は震えた。引いた血の気がさらに引いていく。胸がきゅっと締め付けられたのように息苦しい。
 彼の様子を見て、魔法使いは笑みを見せた。笑えば普通に綺麗だ。ただ、それは散る自分の命が美しさに花を添えているような気がしてならない。
 そして、笑っている魔法使いは、自分のほうを見ているが、自分のずっと向こうに視線の焦点があっていた。魔法使いの笑みの真意は、決して届かぬところにあるということを彼は知る。自分以外の誰かに向けられたものだろうか。
「延命を希望しなかった君に敬意を表して、君の死を看取るとするよ。」
 魔法使いは彼の顔を覗き込んだ。急に引き絞られた魔法使いの焦点に、彼はたじろいだ。だが、目を合わせてくるわけでもない。どこかぼうっと彼の顔を真近くで眺め続けていた。何をされるのかわからない不安で、彼の心臓は早鐘のように心音を奏でていた。
 魔法使いは、一言述べた。
「この小屋の掃除をする前に、伸びきった髭をそろうか。」
 こうして不思議な同居生活が始まった。


 そっとランプに火が灯された。

おやま [agAdw-rXJEp-TJJOR-WScrI] 2004/09/07(火) 20:37:16

冬枯れの君

 魔法使いは、魔法使いであること以外に、何一つ彼にいわなかった。名前を聞けば、「魔法使いに名はない。魔法使いでいいよ。」と淡々とした返事が帰ってきた。他のことを聞いても、たいした答を得ることはできないだろうと彼は考えた。
 魔法使いは、報酬を味わうほうとしてはとても有能だった。
 おかげで彼は今、病床の身ながらも、人間の尊厳を取り戻すだけの生活を送ることができた。
 藁は撤去され、小屋はしっかりと床板を敷かれた。彼の為にふかふかの寝床も用意され、暖炉にはいつも魔法の火が灯っていた。
 用があるといえば、魔法使いはすぐ飛んできて、美しい眉を歪ませることなく、彼の下の世話をし、彼を風呂にいれてくれた。ほどよい湯加減のお湯にひたり、手拭で垢を落とし、髪に浮いた油を洗い落とす。すべて魔法使いが世話をしてくれた。
 初めてではないのだろう、自分のように体の自由の利かないものの相手をするのは。
 彼の願い事は、着々と叶っているのだろう。時々魔法使いは、今この周囲の地方がどのようになっているのかを教えてくれた。
 この冬を前にした谷は、悪い魔王が復活したということになっているらしい。
 そして、その魔王は、人の神経を蝕む毒を、谷中に撒いたと。
 動物は犯されることはないが、人間はたちまち谷に入っただけで少しずつ時間をかけて死んでしまうと。
 だから、魔王を恐れて誰一人、人間はここに来ないよ、と、魔法使いは彼に伝えた。
 つまり、ここは魔王城で、彼は魔王ということになる。冒険者らはどうやったらこの城に眠るだろう財宝を手にいれることができるのか、一生懸命今頃考えているころだろう。
 そろそろ本当に谷は枯れる。病の種は、枯れる季節と積もる季節によく流行するなんて、風邪の類から皆周知の事実であり、ますますここに人は寄り付かなくなるだろう。
 その話を聞いて、彼は笑った。確かに彼は望んだような人になれそうだった。
 彼を気遣ってか、彼の寝床から丁度出入り口の扉と向き合えるようになっている。もし勇者達がやってきても、向きあえるように、という魔法使いの配慮だった。
 何一つに不足はなくなったが、退屈でないというと嘘になる。そう魔法使いに伝えたら、魔法使いはたくさんの物語をきかせてくれた。童心に戻ったつもりで楽しんでという注釈はついていたが。実際魔法使いの話は楽しいというよりも懐かしかった。話をする間、魔法使いの手は動いていた。冬支度の為に、毛糸の織物を編んでいた。
 冒険者の道を志そうと思った、伝説の冒険団の話や、勇者の話。遠い海の向こうの大陸のおてんば皇女の話に、決して眠らない賢者の話。魔法使いの解釈の仕方もよかった。まるで本人らを見てきたかのように話すので、伝説の冒険者らと一緒に冒険できる気になれた。
 子供になったつもりで話を聞いていると、魔法使いは本当に自分のことを子供のように見ているのではないか、と思う。昔話をする魔法使いの周りの空気が、一番安らげた。何もしらない他人なのに、そもそも人間かどうかも怪しいのに、こっけいなことだと彼はいった。
 魔法使いは答えた。笑えるくらいの余裕はあるのだね、と。不意を突かれて、彼は声を出して笑った。
 彼は気になった。今この谷を占拠している魔王は何と呼ばれているのかと。
 魔法使いは教えてくれた。冬枯れの君だと。病気の名前がそのまま君の名前だと。
 彼は笑った。お酒が飲みたいと魔法使いに頼んだ。いわれるままに、魔法使いは酒をあけて、グラスに注いだ。グラスにはガラスの筒が入っている。筒の先端は丸められていた。口を切らないための配慮である。手が動かない彼は、もうグラスを自分で持ち上げることもできなくなっていた。 
 死んでも冬枯れの君として、存在の証が示されるのかな、と彼は魔法使いに聞いた。
 魔法使いは、近隣の村で必ず君のことは残るよ、といった。
「ただし、魔王としてね。」

 冬が本格的にやってきた。
 ある朝魔法使いは、小屋の中に雪でつくった兎を持ち込んだ。目には南天、葉は枯れ葉。
 子供っぽいことをと彼は笑った。魔法使いは、冬を感じるだろう?と肩をすくめた。
 魔法使いは溶けない魔法を雪兎にかけた。
 機能的なものしかおかれていない殺風景な魔王の城初めての美術品だった。
 南天の目は赤くは見えないが、彼は毎朝それが溶けていないかどうかを見るのが日課になりつつあった。しかしその日課は同時に彼の視界が狭まっていることを確認するためのものでもあった。
 ある朝、魔法使いは彼にいった。とうとう魔王の城に城壁ができたという。
 彼は笑った。雪の城壁は鉛の弾を通さないか、と。
 魔法使いはいった。通さないかわりに、門もないから出入りが難しいよ、と。
 魔王としては悩みどころなのだろうか、魔法使いの言い方に含みを感じた。
 挑戦者がいない魔王も何ともさびしいものだ、と、魔法使いに提案した。
「そのうちくるよ、恐れも困難も知らぬ挑戦者がね。ここから出稼ぎにいった若者たちが、冬枯れの君のことを大きな街に伝えただろうしね。」
 自信満々に魔法使いはいった。
 どれだけ待てばいいのかと彼は尋ねた。
「そう長くはない。」
 魔法使いがいうのなら、きっとそうなのだろう。妙な説得力があって、彼はその言葉を信じることにした。
 
 冬はますます厳しいものとなってきた。風がびゅうびゅう外で吹いていることが彼にもわかった。耳はまだ元気のようだ。
 しかし、どんどん体のほうはまいってきていることがわかった。唇はふるえるだけで、何の声も出すことができなくなってしまった。彼の耳にも、どんなにがんばっても音しか聞こえず、声にはならない。それに、自分の手はすっかり変わり果ててしまった。日に焼けた色をし、弓を引くための筋肉がついた腕は、すっかり真っ白に骨が浮いてしまっていた。
 ごくりとつばを飲み込んで、彼は魔法使いに聞いた。
 自分はどれだけ生きられるのだろうと。
 魔法使いは答えた。春までは持たないよ、と。
 意を決して彼は魔法使いに頼んだ。領地を見てまわりたい。
 魔法使いは頷いた。晴れたら君の土地を見に行こうか。
 やっぱり言葉は出なくても、魔法使いには言いたいことが伝わるようだった。魔法使いは人間ではないのだろう、魔法使いで。

おやま [agAdw-YAule-Iustu-osKly] 2004/09/08(水) 18:59:38

決して自分のものにならない色。そして光

 魔法使いに背負われて、久々に小屋の外に出た。
 小屋の外はまっしろに塗りつぶされていた。秋口に見かけた低木や草の輪郭は消えうせて、消しゴムで消したかのような白がいっぱいだった。
 でも、ただの白ではない。久々に白と黒でない光が世界にあることを知った。思い出した。
 雪に太陽の光が差し込んで、銀色のつぶつぶに彼に見えた。
 とうとう視界が歪んで、彼は嗚咽を上げた。
 自分は誰もが恐れる冬枯れの君という名の災厄だ。自分の力でそうなれたわけでもないのに。でもその災厄は、色のついた世界の支配者ではない。微かな光にすらも涙を流す、白い世界の住民なのだ。
 人に認められる名前がなかったあの頃、何と自分はすばらしい世界にいたのだろう。
 魔法使いは、小屋に彼を担いで戻ろうとしたが、彼は強く魔法使いの肩を握った。
 もっといろんなものを焼き付けておきたい、と縋るように願った。
 魔法使いは、彼を負ぶったまま、白い世界を歩き始めた。
 魔法使いは本当に人間ではないのだろう。魔法でも使ったのか、彼を負ぶっていても足が粉雪に沈むことがない。新しい雪に、誰の足跡もつくことはないが、確かに魔法使いはその両方の足で歩いていた。
 魔法使いの背中はあまり大きくはなかったが、自分が縮んでしまったのだろう。そして今の自分は、その背にしがみつくのが精一杯だ。まるで子供に戻ったかのような気になった。
 気分はどうだい?と魔法使いは彼を肩越しに振り返った。
 彼はいった。熱っぽくしゃっくり交じりで、上々だよ、と。
 魔法使いはさらに歩き続けた。彼は瞬きの反射すらもわすれたかのように、ずっと彼のものになった土地を眺めていた。

 魔法使いは谷を出た。彼は思わず笑ってしまった。
 谷の前には看板があった。髑髏をあしらわれてはいるが、素朴で大きな木の看板だ。冬枯れの君という魔王が現れた。命が欲しいものはここに近づくな、と赤い文字で書かれていた。
 力作だろう、と魔法使いはいった。彼は、字が下手だねと笑った。
 肩越しに見た人形のような顔の魔法使いはその美しい眉をひそめた。突拍子もない表情の変化に、彼は腹を抱えて笑った。あまりにも腹が痛いと痛がったら、魔法使いは切り株の上に彼をすわらせた。背もたれはない。背中合わせに魔法使いが彼の後ろに座った。
 どこか遠くを見てしか笑わなかった魔法使いが、初めて自分を意識したのではないか、と彼は思った。
 街へ続く街道は見えない。すべて雪に埋まっている。きっと誰も通らない街道など、雪をどかす価値もないのだろう。
 ここが、魔王の棲家への入り口なのか、と魔法使いに問う。魔法使いはそうだ、と手短に答えた。
 気に入ったというと、魔法使いはまだ他にも領土はあるよ、といってきた。
 彼は興味をそそられた。
 今まで歩いてきた道のりで、彼は雪の谷を支配する王になったつもりだが、その上さらに領地がある。自分の存在はどれだけ大きなものとして知られているのか、知りたいと思った。
 行きたいと魔法使いに頼んだ。魔法使いはすぐには頷かなかった。
 少し遠くなるけれども、いいかい、と。魔法使いの負担にならなかったら全然いいよ、と彼はいった。
 なら、ちょっと道を歩くのをやめてみようか、と魔法使いは笑った。
 魔法使いが彼に手を差し出してきた。魔法使いは毛糸の手袋をしていた。魔法使いの肌よりも白い毛糸の手袋だ。
 彼も手袋をしていた。彼の髪の毛よりも濃い黒い手袋だ。
 差し出された手に、彼は自分の手を添えた。

 次に目を開けると、そこは雪原だった。ここのまわりにはまばらに木は生えているが、その先はどこまでも雪原のようだった。
 まばらの木の王。彼はその木の根に腰をかけていた。
「ここも君の領地だ、冬枯れの君。」
 魔法使いは、彼の傍に控えていた。ここが玉座なのだろう。彼は苦しゅうない、と魔法使いに伝えた。
 もったいないお言葉、とお約束どおりに魔法使いは返した。
 ここはどこなのだ、と彼は魔法使いに問うた。
 魔法使いは答えた。谷の最寄の村だよ。人は冬枯れの魔王に恐れをなして、麦畑を捨て、家畜を連れて南の町に逃げ出したと。
 喉が渇いてしまった。声どころか、喉から音も出ない。
「満足していただけましたか、我が君よ。」
 魔法使いが頭を上げた。人形のような表情をしていた。会った時と同じ、無機質で生き物とは思えない。とても硬く澄んだ結晶は、穏やかに笑うこともない。
 彼は胸が熱くなっていることを感じた。その熱は、続いて喉を冒した。さらに、目の奥も暑くて熱くてたまらない。この光景が目に毒なのだろう。だから、洗い流してしまおうと、涙が涙が流れたのだ。
 誰の目から見ても私は確かな悪になれたのだな、住む土地を奪う悪に。
 胸中のつぶやきすらも見透かす様子で、魔法使いは答えた。
「その通りです。冬枯れの君。」
 丁寧で隙のない言葉使いは、慰めなんて言葉、一言もかけてやらないぞ、ということなのだろう。
 頬の感覚はまだ麻痺していない。熱くなった頬の熱は、涙が乾いて冷たくなってきた。
 彼はいくつかの質問をした。魔法使いは質問には答えずに、一つの物語を話した。

 むかしむかし、北の国に小さな村がありました。その小さな村には、一人の女の子が両親と一緒に住んでいました。
 ある秋のことです。女の子の母親は、旅の行商から手に入れた布から、女の子のお友達を作りました。これから大人たちは皆、小麦の収穫に入ります。だから、まだ小さな女の子が寂しくないよう、その友達が女の子の元気のお守りになればいいように、と願いをこめて、ぺらぺらの布とかさかさの木屑で、うさぎのぬいぐるみを作りました。
 女の子は母親がつれてきた新しい友達がとても気に入りました。どこに遊びにいくときも一緒でした。女の子は、この友情がずっと続くものだと思っていました。しかし、収穫祭りが終わり、冬支度を始めようとしていたとき、悲劇は起こりました。
 村のさらに北にある谷に、魔王が復活したのです。魔王は、復活とともに、北のあちこちに冬枯れというとても恐ろしい伝染病の種をばら撒いてしまったのです。かつて自分を封じた人間達の復讐の為に。
 女の子は、大人たちのいうことがよくわからなかったけれども、このまま冬の来る村にいたら、とても大変なことが起こるということだけはわかりました。
 大人たちは、いそいで自分の家で本当に大切なものをかばんにつめこみました。服や、お金。ちょっとした食べ物、売ればお金になるものを。
 女の子は、大切なものをかばんにつめて、といわれて、まっさきにお友達をかばんに入れました。しかし、父親は女の子を叱りました。そんなぬいぐるみよりも、もっと、大切なものを入れなさい、と。女の子は、お友達がここに残るなら、自分もここに残るといってききませんでした。お母さんは新しいお友達が来るから、といっても、この子じゃないといや、と女の子はいうことをききませんでした。
 すると、もう足腰が動かないお隣のお婆さんは、女の子にいいました。わしはここに一人で残ることになる。だから、そのお友達は一人じゃないよ、と。
 女の子は、おばあさんにお友達を宜しくね、といって、両親と一緒に南の町へといきました。
 それから数日後、初雪が降り、そしてふぶきがふり、雪の女王様がとうとうやってきました。
 お婆さんは、一人で村に残っていました。最期の時まで。お婆さんは、ずっとお友達を一人にはしませんでした。

 彼の聞きたいことのすべてが、この物語にあった。
 魔王は涙を流してはいけないのだろうか、と魔法使いに尋ねた。
 魔法使いはこともなげに答えた。
「誰も魔王が涙を流すとは思ってはいないよ。」
 魔法使いは、涙を流すの頬に手をあて、目じりの涙を拭った。
「君の涙の冷たさは共有できないけれども、拭うことはできる。」
 帰るかい、の言葉に、彼は頷きました。
 真っ白にぬりつぶされた雪原は、秋までは広大な麦畑で、そして、このあたりは人の住んでいた村だった。でも、今は雪しかないただの雪原に過ぎない。
 目を潤わせる涙が、雪原を銀色に光輝く色に見せた。
 彼は知った。この色は、この光は、絶望の色なのだと。手に届かないものはどれだけでも光り輝くものなのだと。
 だからこそ、雪を見たら無性に泣きたくなるのだろう。

おやま [agAdw-gKslS-nXLKD-MGKju] 2004/09/09(木) 04:23:31

覚悟

 年が変わった、と、ある夜魔法使いはいった。
 去年に墓石を買わなくてよかった、と彼は笑った。
 魔法使いは最近、よくおかゆを作ってくれる。顎が動きつらくなっていることを察してだろう。米つぶがたくさんの旨みを吸っていて、美味しいと思った。魔法使いは、東の国が大好きのようだ。自分がその味は好きだというと、とたんに日々の食卓は東方の食事が並ぶようになった。魔法使いが鮮やかに二本の棒をつかって、彼の口に食物を運んだりするのだから、相当はまりこんでいるのだろう。
 あとどれだけで雪がとけるだろう、と魔法使いに尋ねた。
 魔法使いは、二月たってからだよ、と答えた。
 勇者はどんな人たちなんだろう、と魔法使いに尋ねた。
 君と正面から向かい合ってくれる人達だ、と魔法使いは答えた。
 ならば、魔法使いも勇者じゃないのかな、と彼がいうと、魔法使いは首を横に振った。
「オレは君とつきあうことにリスクはないからね。でも、人間は違う。」
 はっとした。
 ついつい長い間暮らしていて、忘れかけていた。魔法使いは魔法使いで、人間じゃないということを。
 魔法使いというのはわかったけれども、実のところ何者なんだい、神様とかの類なのか、それとも悪魔の類なのか、と彼は聞いてみた。
「悪魔も神様も、それは人の心にいるものだよ。」
 そういって、魔法使いは食器を洗いにいってしまった。
 魔法使いのいうことはよくわからない。よくわからないが、魔法使いに会ったころの自分は悪魔そのものだったんじゃないだろうか。
 いや、違う。別の心の声がした。あの頃は、苦しくなるときは同じ一つの心なのに、全然別の二つの声が聞こえていた。結局どっちの声が勝って今の自分がいるのだろうか。
 彼は、壁にかかった鏡に視線をやった。
 悪魔であったころの自分よりも、痩せこけている。かつてあった筋肉が悲しいほどに削がれてしまった。
 今のぼろきれのような自分は、一体何なのだろう。悪魔の声を聞いているのだろうか、神様の声を聞いているのだろうか。
 あの時、宙に伸ばそうとした手は、今は自分のものではない。自分がどれだけ伸ばせと念をこめても動こうとはしない。しかし。
 鏡の中の自分は笑っていた。

 それから彼は、暫く魔法使いに自分の話をした。とはいっても声はとてもか細い音のようにしか出なかったが。何故だろうか、少しでも、声の出だけはよくしておきたかった。魔法使いは、どんなにか細くて言葉にならない音でも、話を聞いてくれた。
 生まれた故郷の村の話。弓と出会ったきっかけ。狩りをしている時に仲間とであった話。
 魔法使いは感心しながら聞いていた。すごいね、と感情がこもってなくてもそんな言葉が口から出てきたら、素直に嬉しい。なるべく、あの頃感じていた楽しさを、ちゃんと言葉にしようと思った。なるべく、あの頃感じていた悩みや苦しみも、ちゃんと言葉にしようと思った。
 どうやら、聞き手がいなければはかどらない儀式らしい。自分の話をするということは。おかしいほどに彼は、自分の話をした。
 美味しかった食べ物、自分の初恋の話、親が死んだ朝、一人で家を飛び出した深夜。
 本当にどうでもいい話まで、思いつく限りの自分の中に残る話という話全てを、彼は一生懸命魔法使いに話そうと試みた。それから、話し疲れて眠る前に、魔法使いにいうのだ。話を聞いてくれてありがとう。今まで一緒にいてくれてありがとう、と。
 そんなとき、魔法使いは普段の人形のような顔で、彼の顔をまじまじと見る。焦点は合っているようで合ってはいない。どこか遠くを見ている目は、距離ではなく、時間なのだろう。
 ここまで献身的に面倒を見てくれるなんて、好きだったやつに自分は似ているんじゃないだろうか。突然の思いつきだが、案外これが真に迫っているかもしれない。
 彼は魔法使いに確認をしなかった。きっと、魔法使いは魔法使いだ、と突っぱねられるだろうな、などと聞きたいと思う度に、聞く代わりに微笑んだ。魔法使いはそんな彼の思惑を知ってか知らずか、そういう時は不機嫌そうに背を向けて暖炉の前で黙って腕を組んで座り込んでしまった。

 肩をそっと叩かれたので、彼はうっすらと目を開けた。
「勇者が来たよ。」
 傍にいるはずの魔法使いの顔も、輪郭が薄れてきていた。色の薄い魔法使いの髪は、もはやまだらの白としか見えやしない。
 魔法使いは、彼の上半身を起き上がらせた。そして背中に彼が疲れないようにふわふわの大きなクッションを支えにあてがった。
 まだ朝が早い。彼の身体時間がそういった。
 魔法使いは、彼の顔をお湯に浸した熱い綿の布でこすった。熱いはずなのに、その布の感触はとても冷たく感じた。世界中に存在するあらゆる液体は、すべてのぬくもりを放棄し、彼の身に冷たさを与えるものではないのかと錯覚するほどに。
 震える彼の手を、魔法使いは握った。
「大丈夫。今、君の手は動いていたよ。」
 魔法使いの手は、確かに暖かかった。その熱が、彼の手に伝わり、そして冷えた肝を落ち着かせていく。
 早鐘のような心臓の音が、確かに聞こえはじめ、そしてそれは落ち着いていった。
 よし、よし、と魔法使いは彼の肩を二度叩いた。
 そして最後の掃除が始まる。雑巾で魔法使いは小屋の床を磨き始めた。その背を見ながら、彼は覚悟を決める。これが最期の朝になるのだろう。
 くいの残らないようにしよう。
 扉の向こうには、太陽がある気がした。扉の向こうから、今でもわずかな隙間から、光が差し込んでくる。
  こんこん。
 扉を叩く音が確かに聞こえた。耳だけは無事でよかった、と彼は思う。
 魔法使いが起こしてくれても、話がきけなかったのならばきっと退屈だっただろう。
 彼は、力いっぱい入れ、といった。
 魔法使いは、雑巾を持ったまま、裏口のほうへといった。
 何となく、魔法使いはこの時立ち会ってくれない気はしていた。きっと呼び止めても魔法使いはいうだろう。自分が魔王と勘違いされてしまうよ、なんて。
 今、小屋の中には彼しかいない。
 勇者とは、魔王と向き合えるものたちのことをいうという。ならば、魔王も勇者に堂々と向き合わなければならない。覚悟を決めるには、とほうもなく時間をかけた。思えば自分の話を魔法使いにしたのは、向き合うことにつりあうだけの何かを確かにしたかったからだ。自分がやった行いに対して心の清算をしなければ、勇者に向き合うこともできやしない。
 扉には鍵がかかっていない。魔法使いも、彼も、鍵をかけることを拒んだ。人と同じ手を持っているものが現れたならば、取っ手を回すだけでたやすく扉は開く。
 扉の向こうの世界は、真っ白だった。そして光輝いていた。いつか見た雪に光の差し込む銀色の光だ。
 その光に導かれてやってきた人間達三人もまた、光を纏っていた。彼にはもうまとうことのゆるされない光だ。名前はきっと未知の未来というのだろう。
 そして、その未知の未来を纏う人間達は、三人ともよく知っている人物だった。

おやま [dmSrQ-zMAdK-MjfSJ-vgqBG] 2004/09/09(木) 18:52:37

対面

「×××……!」
 数ヶ月ぶりに、彼は自分の名前が何であるのか、第三者の口から知った。
 分かれた仲間達は、病のこともわすれて、彼の寝床の前へとやってきた。
 勇者たちと魔王は、剣の間合いほどの距離を置いて、向かい合った。
 久しぶりだ、と唇を動かした。声は、ううう、としか出なかった。
「一体どうしてこんなことを。一体誰に利用されたの?」
 仲間の声は震えていた。涙を流していた。
「冬枯れの病であることを利用した本当の悪はどこにいるんだ、×××。」
 仲間の中で、いつもリーダーだった戦士男は、彼を見下ろしてそういった。
 三人とも、そばには来るが、手を握ることも、薬がどうなったのかもいわない。きっと薬はなかったし、三人は伝染病を恐れて彼に触れることもできないのだろう。彼が自分で考えたということにも思い至らないのだ。
 信じてくれたのかい、自分がこんなことは決してしないと。
 かつての彼のものとはかけ離れた罅割れた音が、喉から漏れた。
 三人とも、頷いた。当たり前じゃないか、と声を上げた。
 彼をつばをのみこんで、喉を湿らせた。
 首を、ゆっくりと横に振った。違うんだ、と。
「じゃあ、君が……。」
 遠慮がちな、魔術師の言葉に彼は頷いた。
 3人は永遠かと思われるほど沈黙した。3人とも冬枯れにかかってもう声も出なくなってしまったのだろうか。自分とあわせなくてもいいのに、と、彼は少し困ったかのような笑い顔をした。しかし、目までは笑えない。
 距離は縮まらない。彼は、縮まらせない。魔王を名乗ることを決めた日から、そう簡単に勇者には近寄らせないと決めていた。軽々しく触れては欲しくなかった。
 信じ続けることのできなかった弱さを見られたくない。
「お願い、そういうように黒幕にいわれた、っていって。」
 すがるような目で、懇願する女僧侶。彼は首を横に振った。
 これは事実だと認めるのに、彼女にはまだまだ時間はかかるだろう、と思った。
「何が何だかさっぱりわからないよ……。」
 うつむいて、彼とは目を合わせずに、魔術師の彼はそうつぶやいた。誰も魔術師の言葉には答えない。魔王と向き合うことも、魔術師には難しいようだから。
「馬鹿いうんじゃない!」
 大きな声とともに、どすん、と大きく戦士の男が彼に寄ってきた。
 昔はよく剣の手合わせをしたものだ。一年くらい前のことなのに、それもずいぶん遠い昔のように感じられた。あの時よりも戦士は少しやつれた顔になった。彼はやつれたどころではないが。
「俺達がどれだけお前のことを心配していたって思っているんだよ!
 一人で本当に大丈夫なのか、雪に埋もれてしまったんじゃないか……。魔王にダシにされてしまったんじゃないかって!」
 戦士はそこで大きく息をした。
「何をしたかったかはよくはわからねぇが、どれだけの迷惑を回りにかけたと思ってるんだよ!馬鹿!
 こっちはどれだけ必死に、ここまでやってきたと思ってんだ…!」
 そういって、戦士は、道具袋に手をつっこんだ。
 彼は瞬きをした。
「冬枯れの特効薬だ! 早いうちに飲めばなおるって言われた!」
 戦士は、さらに前に進んだ。彼の布団の上に組まれた細い両手に、琥珀色の瓶を握らせた。 

 彼は瞼を閉じた。病にかかってから、今までのことがいろいろと瞼の裏に浮かんでは消えていく。
 生きるチャンスが初めて手の中にあった。動かない手の中だ。
 これを飲む資格が、自分にあるのかどうか、自問した。
 魔法使いは人の心には神様と悪魔が住んでいる、といった。しかし、その両方の声は聞こえてこなかった。だが全くの静寂というわけでもない。確かに、一つの結論が心の中にあって、その結論は、彼の胸を熱くさせるものだった。赤ん坊が生まれた時、顔が赤いのは生を掴んだことを知って胸が熱くなるのだろう。ならば、今胸から熱いものがこみ上げてくるように感じるのも、たいした不思議ではない。
 彼は、新しい朝を迎えた時のように、朝日に感謝し笑った。
 光をつれて来た三人のかつての仲間達に笑った。
 瞼を開き、彼は自分の結論を三人に伝えた。

おやま [agAdw-rXJEp-TJJOR-WcCdG] 2004/09/10(金) 18:08:49

思い出の供養

「     」
 声よ、出よ。腕よ、動け、と強く念じた。
 つい先ほどの魔法使いの言葉を思い出す。大丈夫だ。彼の想いで震えた腕なら、彼の想いでまた動くだろう。
 そっと、彼は瓶を戦士に握らせた。戦士は何か言い出そうとしていたが、唇がふるえるだけだった。
 真っ赤な顔で泣き出しそうな戦士に、彼は首を横に振った。
 満足している、と口の中でつぶやいた。もう喉を動かす見えない神経の手は切れてしまった。
 そして、彼は大きく息を吐いた。安堵のため息だった。
 戦士は何か大声でいっただろう。
 魔術師は、何かを悟ったのだろうか、何かを女僧侶にいった。二人も彼の傍にやってきた。拳を震わせ、目に手をあてがって声を殺して泣いているのだろう。泣き顔は見せたくないと思いつつも、眼鏡が汚れることも気にせずに、塩水を流しているのだろう。恥ずかしがらずに、子供のまんまに泣いているのだろう。鼻水を流しながら。
 もう、音もよく聞こえなくなった。ただ、彼の手に落ちた雫の熱さは、残り少ない時間忘れない感覚だと思う。
 最期に見たいものがずっとあった。きっとそれを口にすることはできなかったし、こうやって、それがはっきりと心の中でも言葉になることもなかった。
 人の望みは多すぎる。こうなっていくということがわかってもそれを形にすることは難しいのだ。孤独は簡単に人の心の眼鏡を曇らせてしまう。死というものを知った魔法使いと会う前は、たしかに望みはどんどん減っていくものだと思った。しかし違う。どんどん望みは見えなくなっただけなのだ。本当に大切なことすらも、弱さの前では、大切さよりもただただ、生き続けることの醜さが先にたって、心の旗はそちらのほうになびこうもしないものなのだ。
 
 医者は嘘をいったのではないかと思った。それと同時に医者を恨んだが、こう小屋に横たわったままになって感謝がこみ上げてくる。
 医者は本当のことをいった。春は来ない。人の運命を告げるのは本当に大変なことだっただろう。
 それも知らずに彼は医者につかみかかってしまった。今なら自然に詫びる気持ちがこみ上げてくる。

 仲間らは、自分を見捨てていったと思った。違う。
 自分は仲間に病をうつしたくないと考えて、一人でここに残ると考えた。違う。
 弱っていく自分の姿を、仲間の誰にも見せたくなかったのだ。みっともなくってどうしようもなかった。
 そんなことも知らずに、仲間らは勇者になった。立派だ。そんな勇者達と一緒に、若い日を冒険できたことは、あの世に持っていくのにも十分すぎる誇りだ。
 
 魔法使いは、彼の本当の望みを知っていたのだろうか。本人ですらよくわからないものでも。
 最期をむかえるならば、多くの人に自分というものがいたことを知ってほしいと、絶対の悪として死にたいと頼んだ。
 しかしどうだろう。本当は、自分は、ただ単に……。

 黒という色も失われつつある光の世界の中で、彼は気がついた。
 魔法使いが作った雪兎。あれは光となって溶けてしまっていた。あとには枯れ葉と粒しかのこっていなかった。

 彼は、精一杯の力で唇を笑みの形にした。
 今、痛くも苦しくもないことを、かつて苦楽を友にした仲間らに知らせる為に。
 もはや肺ですら彼のものではないのだろう。呼吸が浅くなってきた。
 あんなに熱かった胸も、急に落ち着いてきた。熱いものが体から逃げていってしまおうとしているのだろうか。ひょっとしたら、この熱いものの名前を魂、とか精神、とかというのかもしれない。
 とうとう黒い色も白い粒の輪郭になって、光の世界に消えていった。きっと瞼が落ちたからだろう。
 真っ白な世界の中でも、彼は仲間の姿をはっきりと描くことができた。これを持って逝けることを誇りにすら思う。しかし、彼は誰でもない、もう姿の見えないものに語りかけた。声にはなっていないだろう。それでもきっと届く。今までどおりに。
 魔法使い、見ているか。俺は今誇れるほど幸せだぞ。お前も絶望していたのか、お前には光り輝いた未来が見えなかったから。
 お前はあまり笑いやしなかったが、お前が望んだ報酬で、お前は幸せになれたのか?
 俺は、もう、寂しくない。

 眩し過ぎて、もう何も見えない。




 魔法使いは裏口の扉にもたれかかっていた。逝ったということを察し、魔法使いは口の中でつぶやいた。
 ああ、数百年越しにようやく君の最期を看取ることができた、と。
 小屋の中から嗚咽が聞こえていた。勇者達のものだ。魔法使いは、彼らとは会わないようにしようと決めていた。生きている者には、残された物が思い出の整理に必要だから。せめて、小屋の中の暖炉の火を絶やさないのは、魔法使いなりの供養の仕方なのかもしれない。
 魔法使いは、目尻の雫をそっと拭った。その雫はすぐに氷の粒になってしまうのではないかというくらいに冷たかった。
「いい物語が手に入ったよ、冬枯れの君。十分な報酬さ。」
 魔法使いは小屋に背を向け、ゆっくりと谷のさらに奥へと歩き始めた。その背はそろそろ青みがかった色を失い、赤みを帯びてくるだろう。


 闇夜を照らすランプは消えた。
 未来のあるものたちの新しい朝が始まる。

                                                                           END.

おやま [agAdw-YAule-hpzWr-PbtcB] 2004/09/11(土) 02:26:45
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