楽園への行き方

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序章    

 光海(ひかりうみ)にかこまれた緑多き島国、アミージェイン国はいま浮き足立っていた。
 首都ルミソニアは観光客でごった返し、青い空のもと国の象徴である、中央に糸車の模様が
金色の刺繍で縫い取られた、真紅の旗がひるがえる。
 石作りの不思議に威圧感がなく、色とりどりの花々が美しくすだれているルミソニア名物、
「花びら居住群」と呼ばれる庶民の家々はその名のとおり、ピンクや紫、黄色やルビーの花びらを
風で飛ばし、甘やかな香りを振りまき、これもまた石畳の大通りを花びらでおおい隠して、
華やかで美しい。
 
 アミージェイン国が「世界の楽園」と呼ばれる由縁のひとつである。
 今、この国は年に一度の、大祭のための準備でおおわらわだ。
 民は紙ふぶきや大祭用のごちそうをこれでもかと作りにつくり、世界中から吟遊詩人、
大道芸人、踊り子が集まる。そして、この国の象徴のひとつ、“かれら”もまた。
もう既に首都の旅篭(はたご)は観光客で満杯だ。
 というのも、大祭にはそれだけの魅力があるからだが、説明は後にしよう。


 国民はもちろん、外国人まで誰もがこの祭りを心底楽しみに、心待ちにしている。
 壮大な織物の、その横糸が、いま高らかに織り上げられたことも気付かずに。
 ――まずは横糸の主線から。
 アミージェイン国第五王女「鈴の姫」と称されるベルティノア。彼女のもとより、紡がれる。
 

透 あかる  [IFfsL-SlhGv-ZKULW-VYIjW] Mail 2005/02/09(水) 14:03:30

鈴の姫

 女官は蔦模様の細工も繊細な、濃茶のドアをノックする。
 ここは白影城と親しまれている国民の誇り、イルベリーズ王宮だ。
 瀟洒(しょうしゃ)で派手過ぎない、クリーム色の回廊を抜けたところの部屋だった。
 
 まだ年若く新参の女官はいぶかる。ノックしても返事がない。
 自分の手落ちかと日々のスケジュールを思いだしてみても、たしかに部屋の主はいま、
ここに控えているはずである。

「ベルティノアさま、おられますか?」
 まったく応答がない。やけに静かな空気だけが、ドア越しから漂っている。
 はじめて王女と顔合わせを許された未熟な女官は、誰もがそうであるように、居心地の悪さで
不安になり、思いきって金色のドアノブをまわした。
「ベルティノアさま……?」
 言ったきり、女官は時が止まったかのように動けなくなる。

 回廊よりも部屋は薄暗く、たきしめてある上品な花の香りがした。もう昼も終わるという時刻だ。
 窓から入る外の光だけがまぶしい。
 灯火を忘れている、などとあせることも忘れ、女官は正面の窓、その桟に腰かけ
寄りかかる彼女をぽかんと見つめた。
 
 輝く絹糸のような黒髪。その髪は光りにもてあそばれ、少し緑がかっている。
 白く透き通るような肌、陰影のせいか彫像のようなすっと整った顔立ち。
 ぼんやりとした、心ここにあらずの風情。薄青い部屋着に身を包み、姫らしくなく、
床に着かないのだろう足はぶらんと宙に揺れ、両手は無造作に膝に置かれていた。
 
 光にほこりが舞うのが見え、影がぴたりとはりつく。
 さながら女官の目には、現実離れした彼女が人間ではないかのように見え、一因である
その光景は、一幅の絵画のようだった。

 間のびした数分の束の間、気配を察したのだろう、緩慢に彼女は振り向く。
 女官は日射しのせいで分からなかった彼女の眼を見、はじめて、驚くほど青いことに気付いた。
 よく青の眼を海や空の色に例えるが、彼女の場合なぜかどちらもしっくりこない。
 空恐ろしいほど透きとおった青の目が、こちらを見つめている。


 さすがに違和感のある状況に気付き、ぱちりと音が聞こえるかのように彼女、ベルティノアはまばたきをして、覚醒した。
「……何か?」
 この声が。女官は得心したように聞きほれ、同時にあきれた。
 ここまで御神の恩恵を賜る方も、珍しい。さぞや愛されてお生まれになったのだと思うと、
畏敬を通りこし、逆にあきれてしまうというものだった。

 比べる気も起こらない、その極上の鈴が震えるような、清らかで凛とした声。
 そう、この声がベルティノアの称号、「鈴の姫」たる所以だった。


 ある者は言う。ベルティノア姫はたしかに美しい。
 しかし彼女を美しくたらしめているのは容姿ではない。その心根を表す声なのだと。
 アミージェイン国は言霊の支配する国だと言われ、事実そうだった。その説明には
ある一族が深く関わっているのだが、その説明はここでは省く。
 ようするに、その言霊を発する声はその者の心の響きであるとされているのだ。


 外見では分からない鈴の姫の称号。
 その意味は彼女の極上の鈴の声とベルティノアの「ベル」―美しい人の意味のほか鐘や鈴の意もある―から取ったものだった。

透 あかる  [IFfsL-SlhGv-ZKULW-VYIjW] Mail 2005/02/09(水) 14:10:47



「……ええと」
「……あっ。申し訳ありません」
 ずっと凝視され、困惑するベルティノアにやっと気づき、女官は恥じ入る。
 失態である。一国の王女を、無遠慮に眺めまわしていたのだから。
 赤くなる女官に、ベルティノアはくすと笑った。
 その笑顔には、先ほどまで窓を見つめていた神々しいまでの雰囲気はなく、
年相応の愛らしい風情があった。
 ベルノティアは今年で十六になる。

「それで、なにか用事があったのではない?」
 茶目っ気のあるらしい王女は、咎めたてもせず、静かに用向きを聞いた。
「あ、はい! 大祭用のガウンの採寸で、お針子たちを……」
「またなの。いままで、何着作ったと思っているのかしら。あんなにいらないといつも言っているのに。
それより……ね、こっちにきて」
 え、と女官は訳がわからず、眉をひそめる。

「いいから。ここの窓から何が見える?」
 さっきの辟易した表情から一転してベルティノアはいきいきと急かしたてた。
 くるくると表情の変わる、子猫のような姫だ。
 神秘的な表情が、錯覚だったかに思われるほど。
 女官はいぶかりつつも可笑しくなって一緒に窓の外をのぞいた。
「大祭用の準備でしょう。使用人たちが走り回っています。商人たちが市を開いて、
客寄せして……気の早い民が聖歌を歌っていますわ」
 大祭への興奮が伝わって女官は思わず頬を緩める。

「ねえ。楽しそうよね。では、あなたも一緒に来てくれるでしょう?」
「は?」
 理解の範疇を超えている。女官は不穏な気を感じ取り、この先がなんとなく読めた気がした。
 ようするに、自分の役目が。

「城内でさえ、こんなにお祭り気分なんですもの。城下町はさぞ面白いことよ。あなた、
名は何というの」
「ル、ルリですが……」
「ルリ。いい名ね。大丈夫! わたくし、これでもおしのびには慣れているの。クローゼットの奥に、
使用人ようの服だって隠してあるわ」
 ……ようするに、じゃじゃ馬姫に振り回される、お守りの役なのだわ。
 
 女官、ルリは不敬にもそんなことを思い、これからのゆく先に大きくため息をついたのだった。

透 あかる  [IFfsL-SlhGv-ZKULW-VYIjW] Mail 2005/02/09(水) 14:11:25

第二章 縦糸の交錯


「ね、出店に行きましょうよ。おいしい揚げ菓子のお店がたしかこのあたりに……」
「ベルティノアさまっ」
 カラフルな出店からの香ばしい匂いや、花々の香りで町はあふれかえっている。
 たくさんの人いきれのなか大道芸人の客寄せ、吟遊詩人の歌声が混じりあい、いっそうの活気を帯びてにぎわう。
 なかには踊り子にちょっかいを出す手合いもいるほどだ。百戦錬磨の踊り子にあえなく手玉にはされているが。
 
 城下町のあかるい喧噪とは打ってかわり、ルリは内心戦々恐々としていた。
 仮にも、そう仮にも一国の王女である。怪我などされては先は見てとれるものだし、正体を知られても不味い。
 女官の苦渋につゆほども気付かず、当のベルティノアは、使用人にしてはやけに頼りなさそうなひょろりとした少年に扮し、
 最高の笑顔で町を走り回るものだから、付いていくほうは冷や汗を禁じえない。


「しっ」
 突然くるりとふり返り、ベルティノアは口元に人差し指を立てた。
 麗しの黒髪は煤けた帽子につめこまれている。そんな無造作に、とルリが最初のお小言を言った、記念すべき艶髪だ。
「ここではお忍びなんだから『ベルティノアさま』はやめてよね」
「で、ではなんとお呼びすれば……」
「ベルでいいわ」
「そんなっ。恐れ多くて呼べません!」
 く、とベルティノアは眉を持ち上げる。自身への皮肉と自嘲をたっぷりと含んだ表情だった。
 直感で、ルリは後悔する。この女官の最大の美点は、その人を見る目と、こまやかな感性だった。
 新参からいちはやく王族付きとなったのも、この能力を買われてのことである。

「……本人がいいといっているのだから、いいのよ」
「わかりました。……では、ベルと。後悔しても知りませんよ」
 照れ隠しだろうか、ルリはに、と笑った。
 さきほどとはあまりに差のある、ルリの腰を据えた態度だ。ベルティノアは目をぱっちりと開き、明けはなしの顔を浮かべた。
 よりどころの無い、いつかの幼い少女のようにいっとき訝しみ、そしてじわじわと頬を染める。
「後悔なんて。」
非常に聞きとりづらい、かぼそく、ちいさな声だった。
「……するわけないじゃない」



「……それにしても、ベルはよくそんな似合わない変装でばれませんでしたね」
「えっ。そうかしら。わたくし完璧に変装できたと思っていたのに」
 目をひく宝飾類から妖しげな呪術のようなものまで、多種多様の雑貨やら、清涼水やこおばしい揚げ物まで、
かずかずの食物の出店を冷やかしながら、小声でしゃべりあう。香辛料のにおいがつんと鼻についた。
 あきれてルリはベルティノアを見やる。
「そんな細くて色白の使用人なんていませんわ。せめて女官の変装ならなんとかなったでしょうに」
「だいじょうぶよ。いままでばれなかったのですもの。なんとかなっているのじゃなくて?」
 す、とルリは雑貨市のひとつ、うらぶれた小さな店へ指さした。目玉商品なのであろう、小粒のビーズをちりばめた、
愛らしい首飾りのその横に、流麗な飾り文字の看板がひとつ。

 『鈴の姫もお気に入りの一品』

「あら」
 鈴の姫はぱちくりとまばたきをした。


 この国の驚くべきところは数多いが、罪を犯そうとする者が極端に少ないこともそのひとつだ。
 殺しなどは起こるべくもない。驚嘆すべきことだが、この国が殺しや戦争をやり始めるようになれば、世界は滅びるとさえ言われている。
 それは「世界の楽園」と呼ばれるアミージェイン国ゆえのことだ。

「特別に神に愛されたこどもたち」なのだから。

透 あかる  [IFfsL-SlhGv-ZKULW-VYIjW] Mail 2005/02/12(土) 05:04:05



 人々の喧騒と笑い声。
 ベルティノアの愛している町。ルリに買ってもらった、冷たく甘いこおり水を飲みながらぼんやりと見渡す。
 透きとおる空。白い鳩が飛び立ち、花びらが舞っては頬をなでる。
 何気なく人々が流されていく大通りから、少し暗い奥の小道へ目をむけ、ベルティノアははっとした。

 風が吹き荒れ、道行く人びとの衣服をはためかせているなか、灰色の長衣を着た者がこちらを見ていた。
 フードにかくれて顔は見えないものの、見つめられている。
 ―――彼だ。
 理由もなく確信したとたん、ベルティノアは衝動的に駆け出していた。人の群れの中へ、考えなしに突っ込んでいく。
 ルリの声はもはや聞こえていない。

「セラ!」
 あっ、つぶやいたときにはもう遅い。
 ベルティノアはあまりに必死で、道行くひとびとのその足に、つまさきを妨げられることなど、予想だにしなかった。

 ひとつ反射が遅れると、あとは急降下の一途である。
 衝撃でずれた帽子から、豊かな黒髪がしなやかにこぼれ落ちていく。
 顔から地面に突っ伏すという間際、ぐっと腕を引っ張りもどした、大きく力強い手の存在を感じた。
 いつのまにか、小道には人の影さえ映っていない。

「ずいぶんと、切羽詰まっていたようだね」
 面白そうに、切れ長の琥珀の瞳を輝かせ、王女の危うきを助けた男は言った。
 闇を一滴おり混ぜたような濃いブラウンの髪で、長身の若い男だった。ベルティノアより幾らか年上か。大変精悍な顔立ちをしている。
 こんなときでなければ、やや荒っぽい彫りの顔立ちや、少し浅黒い肌で、彼が異国人の野性味ある青年であると、
まじまじと観察できたであろうが、あいにくベルティノアは小道に気を取られすぎていた。

「すみません……ご迷惑をおかけいたしました。ありがとうございます」
 手早くではあったが、ふわりと腰を折り、首を心持ちうつむかせ、美しい礼をとる。
 男が目を見開いたのは、やはりその非凡な鈴の声と、いとも簡単に、習慣のようにやってのけた、彼女の最高峰の所作だった。


「ベルティ…ベル!」
 後方で、上ずったルリの声がした。ベルティノアはやっと小道をあきらめ、こちらを向き、ふっと笑んだ。
「では、これで」
「おれはレイだ。覚えておいてくれ。……ベル?」
 唐突な自己紹介に目を見開いたベルティノアは、かれ、レイの不敵な笑みをきょとんと見つめた。
 どうにも不可思議な、人を皮肉った笑顔が最高に決まる、魅力を持った青年である。



 怪訝な様子で去っていく、ベルティノアのうしろ姿を見つめていたレイはふと笑った。
「……いきなり大当たりだよ。カイル。本当にこの国は平和らしい」
 後ろに影のようについていた連れの男、カイルは目を見開く。
「ではあれが、鈴の姫……」
「どうやらまちがいではないな。黒髪に青の瞳の美人。おまけに、あの声を聞いたか?噂以上だぞ」
 おもしろそうな琥珀の瞳でレイはつぶやく。
「大祭が楽しみだ」

透 あかる  [IFfsL-SlhGv-ZKULW-VYIjW] Mail 2005/02/12(土) 05:06:11

第三章 語り部族


「ベルティノアさま。お探ししておりましたのに」
 ルリの先輩女官が、前庭をこそこそ歩く二人をめざとく見つけ、声をかけた。
 ベルティノアはいまだ使用人の服を着ていたというのに、一目で当てられてしまう。
 ルリはひそかに舌を巻きながら、先輩女官を尊敬のまなざしで見つめた。
 さすがに長年ベルティノアに仕えていただけあり、要領の良さには相当の年季が入っている。

 当の先輩女官は、あきれ顔でベルティノアを見つめていた。その顔はさながら、手のかかる子どもを前にした、母のような顔である。
「またおしのびに行っていらしたのですか。城下に降りるなど、さして禁止していないのですよ。姫さまが行きたいと仰るなら、
ちゃんと馬車と従者をつけますのに。そんな格好をして」
「あら、わたくしが姫のままで行っても、ぜんぜん楽しめないじゃないの。わかっているでしょう? こういうのはおしのびが一番だわ」
 まるで母と娘の会話だ。ルリは笑ってもいいのか悪いのか、複雑な気持ちでふたりを眺める。
 先輩女官は、年季こそ入ってはいるが、ベルティノアより幾らか年上、一般から見れば姉にあたる年だ。
 笑うことは憚(はばか)られるもの、思わず知らず、顔をゆるめてしまう光景には違いない。
 ふと先輩女官がこちらを向き、見透かされたかとルリは一瞬身をちぢめたが、そのまなざしに苦笑してしまう。
 彼女の目にはありありと、同情とねぎらいにあふれた、「おつかれさま」の言葉があった。
 どうも日常茶飯事の光景らしい。

「とにかく。こんなことがしょっちゅうあっては、女官の身が持ちませんわ。うるわしい鈴の姫で有名なあなたが」
「……そう、その鈴の姫。わたくし、あのきれいな称号を聞くとうんざりしてしまう」
 苦虫を噛みつぶしたような顔で、告白するベルティノアにふたりは目を見開く。
 先輩女官は驚いて言いつのった。
「まあ。わたくし、皮肉で言ったわけではありませんよ。事実として、民たちが、どんなにその愛称であなたを慕っているか」
 ルリもすかさずうなずく。いちばんその称号の似合う者に、異論など唱えて欲しくはないというものだ。
「そうですわ! 今年は大祭でベルが……いえベルティノアさまが、聖歌を歌われること、どれほどの民が楽しみにしているか。
あなたのその鈴の声を、一度は耳にしたいと思う者が、どれほどいるか」


 ルリが言わんとしているものは、大祭の目玉、「花冠の聖戦」で開式の聖歌を「はじまりの乙女」に扮したベルティノアが歌う、というものだった。
「花冠の聖戦」というのは、この国で唯一男たちが剣を持ち戦うことが許される決闘大会だ。
 しかしその主旨はアミージェイン国らしく、栄誉や賞金のためではない。
 一番民が沸き、若い女たちはだれもが夢見る、そんな大会だった。
 そして「はじまりの乙女」とは、国に伝わる神話のなかで、はじめて本当の楽園へ行ったとされる乙女のことだ。
 ゆえに、「はじまりの乙女」を務める者は、聖戦の守護者であり、象徴の役割をはたす花形とも言えた。


「純白の衣装に身を包んで、聖歌を歌われるベルティノアさまは本当に素敵でしょうねえ……」
 思わずうっとりと浸るルリに、ベルティノアは苦笑して、肩をすくめる。
「みながわたしを望んでくださるのは、とても光栄なことだわ。……でも。わたしの声など、比べる気も起こらないひと、ごく身近に知っている。
……それはもう、うんざりするくらい。そのひとに『鈴の姫』なんて呼ばれるんだもの。どんなに苦痛なことか、考えたことがあって?」
 きょとんとするルリとは裏腹に、先輩女官は、あっ、と首をすくめ、顔を赤らめながら進言した。

「ベルティノアさま。その『比べる気もおこらない』方がお越しですよ。控えの間にてお待ちです」
 後のこの言葉で、先輩女官はベルティノアから、貴重な‘職務怠慢’のお叱りをたまわることとなった。

「“紡ぎの方々”が、到着いたしました」
 
 

 しずかに、しかし確実に、変革は訪れようとしていた。
 耳をすませてみれば、たしかに織り音は聞こえていたのだ。
 壮大な意志のちから。機(はた)織る、あの音が。

 後になって、ルリは何度も思いだし、考えることになる。
 なぜ、これほど御神の愛と恩寵を賜って、彼女は生まれてきたのか。
 なぜ王族として、王の子孫として、王女として。彼女は世に落とされたのか。
 見えない、「なにか」の繋がりを、ルリは何度も考えることになる。

透 あかる  [IFfsL-SlhGv-ZKULW-VYIjW] Mail 2005/02/15(火) 00:23:13

 ――セラに会える。
 あの小道にいたのは間違いなくセラだったんだわ。それともなにかの啓示かしら。
 ベルティノアははやる気持ちを抑えつけ、女官ともども支度へ急ぐ。
 湯浴みを手早くすませ、光沢のある、白銀シルクのガウンにそでを通す。髪は結い上げ頭上には銀のティアラを載せ、
幅のあつい、細かな金刺繍を施した赤のリボンを肩からかけ下げ、結わえた。
 姫君でなく、一国の王女としての、会見の正装だ。
 ベルティノアの絹糸のような黒髪に、白銀のガウンとティアラはよく映え、青い目が更に華やかだ。
 結い上げた髪のせいで、細く白いうなじが際立つ。
 く、と顔を上向きにあげ、ベルティノアは幼いおてんばな姫から、第五王女に切り替える。
 それだけで誇り高く、玲瓏(れいろう)な姫の様相へ一転した。

 お付きの侍女に手早く形ばかりの案内をされ、国王謁見の広間へ出る。王族の者は上座から入るのが習いだ。
 すでに賓客は、控えから謁見の間へとおされたようだった。
 赤い天鵞絨(びろうど)のその先、白影城至高の間。御影石(みかげいし)にぶく光る謁見の広間へ。
 控えていた従者が大扉を開ける。

 目に飛び込んできたのは、みな一様に灰色の長衣を着、ひざをつく銀髪の総勢50人ほどの人々。
 よく見ると胸に当てている右手、その手首には小粒のルビーを埋め込んだ、細い金の腕輪をしている。
 彼らこそこの国の鍵を握る一族。
「紡ぎの人」、語り部族だ。

 ベルティノアは落ちついた、静かな物腰で裾をさばき、王族の場よりやや下手の位置で客人と対面した。
「遅刻を切にお詫び申し上げます。第五王女、ベルティノア=ディン=イルベリーズでございます」
 ガウンの裾を軽くつまみ、優雅に腰を折りふわりと礼を取る。
 同じように父母である玉座に座る王、その隣の王妃にも礼を取り、ベルティノアは一段上に居並ぶ、兄弟たちの列に加わった。
 城下町で図らずも見せた、完璧な王女の所作である。

「これはこれは。鈴の姫。さらに麗しくなられましたな」
「鈴の姫」の称号の名付け親、語り部族の長ケイジンは、銀の眉下から灰青色の瞳をのぞかせた。
 年は取っているが眼光いまだ衰えず、誇り高い、一族の長として張りのある威厳を感じさせる声だ。
「ケイジンさま、幾久しく存じます」
 懐かしい顔に、ベルティノアは自然と笑みをもらす。
 幼少の頃からの、古いつきあいである。彼の顔を見ると、幼い日の思い出が一度にあふれ返るようだ。
「ああ。また一年経った。……この頃は光のようにときが過ぎ去る。おとなになられた姫の美しさに、セラも驚いたことでしょう」
 言いながら、ケイジンは斜め後ろに控える青年をちらりと見やる。
 ベルティノアは、入室したときからすでにセラを見いだしていた。
 みなおなじような容姿だが、セラだけはいともたやすく見つけることができる。ベルティノアの特技だ。

「はい。久方ぶりでございます。鈴の姫」
 水の流れのような、冷たく透きとおる声がベルティノアへ向けられた。
 紡ぎ一族の例にもれず、光を縒る極細の銀髪。少し伸びたらしいその髪をうしろでひとつにまとめ、
彼の繊細な頬のラインを際立たせている。
 心持ち顔を持ち上げこちらを見つめるすみれ色の瞳に、幼い日の面影を見いだし、
ベルティノアははっきりと、再会のうれしさが込みあげるのを感じた。
 今にも飛びついて喜びを表したいと思うもの、正式な謁見の手まえ、なんとかおさえて微笑む。
 その表情は、はにかみとも取れる初々しい落花の風情があった。
「……ええ。会えて嬉しいわ。セラ」
 ふと、彼はかすかに笑み返した。


 それにしても。
 ――人って、たった一年でこんなに大きくなるものなの。
 年頃の娘らしくもない、すこしずれた感覚で、ベルティノアは内心苦々しいおもいを噛みしめる。
 若くしてまれな、いっそう落ちついた物腰。
 セラは一年前より、また更に背が伸びたらしく、長い手足をもてあましげに膝付くその姿は、すでに青年と言って変わりない。
 おまけに、前はやせぎすと言っていいほどの細さだったのに、骨格までしっかりとしてきたようだった。
 ――細さがまた変わらないことが、ベルティノアのおかしな嫉妬をかきたてたのは余談である。
 兎にも角にも、もはやそこに、どれほど幼なじみの欲目があるとしても、美しいと形容される容姿は不動のものとなったようだった。
 語り部一族は、古くから見目よい一族として有名だが、セラの容貌は際立っている。
 これからまた女官たちがうるさくなると、ベルティノアはすでに食傷気味に思った。 
 

 ケイジンは王に向き直り、話を再開する。
「陛下。今年も大祭のため、我ら紡ぎ一族を召喚されましたことを心より嬉しく存じます」
 父王は穏やかに目をほそめ、彼らをねぎらう。この父王の寛容な気配りが、ベルティノアは好きだった。
「紡ぎの。そなたたちを歓迎し、誇りに思う。今年も頼むぞ」
「は。では、ご報告いたします。早々ですが、『糸車』が降りました」
「なにっ」
 王族側がざわつく。もちろんベルティノアとて変わりはない。ぴんと張り詰めた糸のような、ただならぬ緊張がただよった。
「早急にお聞きいただきたく存じます」
「もちろんだ。お願いしよう」
 父王は重々しくうなずく。

 アミージェイン国は言霊で支配されている国だが、その説明にはこの語り部一族が必要不可欠だ。
 語り部とは太古の神話と物語を受け継ぎ、また世界を放浪して、収拾した物語を伝承する者たちだが、同時に預言者であるといえた。
 よって、彼らに敬意を表し、国では“紡ぎ一族”と通称される。 
『糸車』が降りる、という意味は預言者の本領として、神からの神託を授かったということだ。
 この先に起きうる事柄が語り部によって伝えられる。
 これを読み解き、備えることでアミージェイン国は豊かに、平和でいられるといっても過言ではない。

 これまでに糸車が降りたのは疫病、光海の大津波、日照りという凶兆や、
豊作、王女と他国の王子との、歴史的な婚姻などの吉兆の前だった。
 王族たちがこれほどの緊張を示すのも、『糸車』が降りるということは、良きにしろ、悪きにしろ国全体に関わる、最重要の事柄ゆえである。
 
 ここで一考し、追記するならば、なぜ『糸車』の託宣に他国からの侵攻、そのほか血生臭い凶兆が見られないのか。
 答えは簡単だ。
 この国が‘世界の楽園’と呼ばれる由縁、その最もおおきなひとつ。
 アミージェイン国は世界の聖地であり、不可侵の場所ゆえであった。ここ300年あまり、戦火は一度たりとも上がったことがない。
 例外として、300年前に一度起きたことはあるのだが、光海が荒れ狂い、戦わずして勝利したことから、
‘神に守られた国’として改めて認識され、それ以後侵攻する国はまったく無くなった。
 また、『世界の楽園』を侵攻する国は、それだけで軽蔑の対象になることも一因しているのかもしれない。

 このはなしは神話にもつながってくるが、それはまた後にする。  
 アミィジェーン国は言霊で支配され、守護を受ける国であった。

「では、はじめよう」
 ケイジンが一声をあげた。

透 あかる  [IFfsL-SlhGv-ZKULW-VYIjW] Mail 2005/02/17(木) 20:32:29

第四章 糸車




 ケイジンをのぞく、ほかの語り部族は後ろに退き、皆一様に同じ木の杖を取り出す。
 紡ぎ一族の村にしか育たないという、英知の大樹から切り出したものだとむかしセラは言っていた。
 よって、この杖は“英知の杖”と呼ばれている。腕輪につづき、紡ぎ一族の証明であった。
 ケイジンはあぐらをかき、目を閉じて手のひらを上にし、膝に置く。
 かつん、と一族のひとりが杖で床を叩いた。セラだ。
 それにつられ、ほかの語り部たちも叩き始める。器用に杖を操り、不可思議な流れを生みだし、音は次第にまとまり、奇妙なリズムを作り出す。


『糸車』や伝承の語りをはじめる前に必ず行われる、儀式のようなこの律動は、‘紡ぎのうた’と呼ばれ、古くから慣例づけられている。
 なぜか、と聞かれても、現代にもはや答えられる者はいないが、太古を喚起させる場を圧倒するこのリズムで、
語りのための空気を生みだし、整える作用を持っているようだった。
 それゆえだろうか。
 過去三百年、それ以上の歳月。この‘紡ぎのうた’の旋律は、一度たりとも狂ったことがない。
 総勢五十人が奏でる紡ぎのうた。その旋律が『一度たりとも』狂ったことがないのだ。


 いつの日も、慣れとは感覚を麻痺させるものである。
 当たり前のことだという、すべての先入観を取り払いやっと気付く。
 これは、恐るべき事実であった。



 まるで、個人の区別などないかのように、ひとつの巨大な楽器が、ひとりでに鳴り響くように、ぴたりと揃う一糸乱れぬ律動はつづく。
 ベルティノアはこのリズムに、なぜか昔から慣れなかった。大祭ではいつもこのリズムを聴いて、最初から感涙する者も少なくないにも関わらず。
 たしかに、しずかで誇り高い律動だ。何かを生みだす音楽だ。


 しかし、その『生みだす』ものとは、何かを殺してはじめて、生みだす力を持つような気がしてならなかった。
 その、何かが分からないから、ベルティノアはまた居心地が悪くなる。
 おまけに、この感覚に共感する者もいないだろうことが冷静にみてとれ、さらにベルティノアを不安にさせた。
 ――ばかね。何かをころして、はじめて生まれるなんて。そんな当たり前のことに、なにを不安がることがあるの。
 自分に辛抱強く言い聞かせ、ぎこちない自嘲をもらす。


 広間の大理石のおかげで音は反響し、リズムは次第に大きくなるにつれ、ここが王宮ではないかのような、隔絶した空間をつくりだした。



 ――まただ。



 首筋に言いようもない、悪寒が走った。ベルティノアを不安がらせる要因のもうひとつ。
 不穏な、白昼夢が彼女の意識を包み込む。



 白昼夢のなかではいつも、ベルティノアはまるで非力な小人のように、大きい、とてつもなく大きな糸車を見あげていた。
 幼いときからどんなに年月が流れようと、ベルティノアはいつも不安げに、ここに呆然とただ立ち、上ばかり見あげている。
‘紡ぎのうた’のリズムは、いつもこの糸車の音だった。
 カラリ、カラリと、ベルティノアの真上で巨大な糸車は廻る。
 紡がれるその糸は複雑な色彩をし、果てのないほど長いことから、太古から大切に紡がれてきたものだと、容易に見てとれた。


「この糸はだれのもの。この糸は、やみのもの」
 ベルティノアの頭上で、低い歌が聞こえている。
 糸車の廻る音に消されるか、消されないかのかぼそさで、しかし淡々と、誰かが紡ぎながら歌をうたっていた。
 カラリ、カラリと車輪は回転していく。
 その真下で、ベルティノアはぼうっと上を見ている。
 真上で廻る巨大な糸は様々な色彩だが、しかしどれも渋みがある。
それは染みついたにごりであり、その『にごり』は歌にも染みとおっているように感じられた。
「この糸は、だれのもの。この糸は、ひかりのもの」
 

 ……ああ。
 ベルティノアはふと、気がついた。
 
 
 この『にごり』は、かなしみなんだわ。



 律動が最高潮に達し、ぴたりとやむ。ベルティノアは、はっと覚醒した。

「我、遥かなる糸を紡ぐものなり」
 ケイジンのよくとおる、第一声が響き渡った。
 糸車が、動き出す。

透 あかる  [IFfsL-SlhGv-ZKULW-VYIjW] Mail 2005/05/23(月) 20:36:48

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