四角い空のむこう

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悠介の部屋の天井を見上げるのは、あたしの十七年の人生の中で、一体何回目なんだろう。小さな頃はアニメのポスター、その後は国民的人気バンドのポスター(CDを買ったらもらったってやつ)が貼ってあった場所が、四角に小さく切り取られている。
璃花もそれを見たんだと思うと、あたしは、している最中でも胸が苦しくなる。璃花の顔が浮かぶ。
きっと、こんなことを知ったら、悲しいのを隠して小さく微笑むだろう。そういう子だ。自分が欲しいものを欲しいと言えない。自分の言葉の代償を知っているから。

 それでも、あたしは今日も悠介の腕の温もりを欲してしまうし、彼の吸う煙草の匂いさえ愛しいと感じてしまう。高校の勉強は出来る方だけど、あたしはきっと、馬鹿なんだと思う。
不安定な感情の高ぶりが抑えられなくて、悠介の背中にしがみ付く。日焼けした背中は、さっきまでの熱を発散させるように汗ばんでいた。眠そうに、細い目をして悠介が振り向く。「どした? 」返事はせず、曖昧に微笑むと、彼は大きな右手であたしの後頭部をそっと包み、ちょっとだけ薄い胸に押し付ける。聞こえてくる心臓の鼓動が「早く」「早く」とあたしを急かしている様に聞こえる。その鼓動に合わせて呼吸をしていたら、上手く息が吸えなくなった。
 
 その時、枕元の携帯が鳴る。それを合図にベッドを飛び出して、制服に着替える。さっきのベルの大きな音に驚いたからか、手が小さく震えて、ブラウスのボタンが通せない。なんとか着替えて、悠介の部屋を出る。
「杏菜。」
ドアノブに手を掛けて振り返ると、ベッドで今にも眠りに落ちそうな悠介が小さく手を振る。
「また明日。」

 悠介の家を出ると、もう外は薄暗かった。空には赤紫から群青のグラデーションが広がり、街中が夜を迎える準備をしている。仕事帰りの人が、大きな買い物袋を手に足早に。これから塾に向かう子供は、マックのバーガーを齧りながら。商店街の雑踏は、いつも揚げ物と海からの匂いに包まれている。あたしたちが住む街は、多分、日本全国のどこにでもあるような。誰かにどういうところ? と聞かれたら「普通? 」もしくは「……うーん。」と答えに詰まってしまう街だ。あたしたちが子供の頃は、駅へと続く商店街と駅を挟んで向こうに広がる海しかない街だったけれど、中学校に上がる頃には駅前におしゃれなカフェや雑貨屋、ファーストフードの店が増殖し始めてきていた。観光地ではないのだけれど、海の近くということで商店街の何軒かはおみやげ物を扱ってる。新旧入り混じりって感じだ。

 そんな中途半端な街で、あたしたちはすくすくと育って。十七歳になった。十七年が短かったのか、長かったのか図りかねるけれど、あと六十年位は生きちゃったりするのかと、ちょっと憂鬱になる年頃だ。そんな時は、いつもの制服がちょっとだけ重みを増した感じがする。

 待ち合わせのドトールに着くと、璃花はもう席について、あたしに気付くと手をひらひらさせた。ここは、駅前の市民ホールのビルのテナントで、あたしたちの「いつもの場所。」だ。
「また同じもの食べてる。」
チキンべーグルのトマト抜きとオレンジジュース。彼女の最近のお気に入りらしい。あたしも好きだから、同じ物にした。(トマト入りだけど)

「ただいま安菜ちゃん。」
「うん。お帰り。」

変な感じだけど、あたしたちの日常会話だ。璃花は片道二時間かかる都内のミッション系お嬢様学校に通っていて、あたしと悠介は近くの公立高校に通っているから、必然的にこういうことになる。本当は、三人とも地元の高校に通うはずだったのだけど、璃花の両親が反対して、こういうことになった。

 それがわかった時、一番残念がっていたのは悠介だった。ちょうどその頃、二人は付き合い出し、幸せそうだった。だから、璃花がそう決めたことはとても驚いたけど、あたしはちょっとほっとした。だって、お互いがお互いを好きで、大切な二人を見るのは、正直、辛かったから。
あたしは、ふたりがとてもとても好きだった。それこそ、友情とか愛情とかじゃなくて、それをミックスした感じ、を抱えてた。二人が大好きだったからこそ、あたしは二人から愛されたかった。それこそ、お誕生日プレゼントの候補を一つに絞れない子供のように。

 だから、あたしは。あたしたちは、いろんなところで繋がっている。三人一緒でも二人ずつでも遊ぶし、セックスもする。高校が同じだから、悠介とは、ほぼ毎日会うし、璃花とも二日に一度は「いつもの場所。」で待ち合わせをしている。

問題は、璃花があたしと悠介の関係を知らないことだ。

璃花と、一緒にいるのは楽しいけど、悠介への思いと璃花への複雑な感情が、彼女と会っている間中、あたしの中で悲鳴を上げる。

 最初は、ただ仲間はずれになりたくなかっただけ。あたしの子供っぽい感情が二人を傷つけるかもしれないなんてこれっぽっちも考える余裕がなかった。だけど、悠介はそんなあたしの気持ちをわかっていたし、きっと彼自身もあたしとおんなじ気持ちが少なからずあったんだと思う。だから、悠介はあたしを抱いてくれたんだ。それ以来、悠介とは暇があれば学校帰りにセックスをする関係になってしまった。悠介の温もりに触れるたびにこんなこともう辞めなくちゃと自分に言い聞かせる。悠介も、終わったあとは、少し曇った顔をする。あたしは彼の温もりに、自分の不安定な心が溶ける安らぎを知ってしまった。誰も傷つかずにすむ方法なんてあるわけないってわかっているのに、それを考えることで猶予期間を作ってしまっているんだ。

 璃花は、綺麗な栗色の目をしている。大きなその目に見つめられるとドキリとするのは、やましい事があるからだけじゃない。なんだか、考えていることを読まれちゃうような。そんな感じ。
色白で女の子らしい体型も、ピンクのチークを塗ったような頬も、短い指も。誰かに守られるために生まれたような女の子。あたしはいつも、そんな璃花が羨ましかった。悠介の隣でにっこりと微笑む彼女を見たときは、本気で璃花になりたいとすら思った。

 あたしは、璃花のことをなーんにもわかってなかったんだって思い知る出来事がこの後待っているなんて全然思いもしなかった。だからそのときも璃花の異変に気付いてあげられなかったんだ。こんなに近くにいたのにね。なんて思っても嘘臭い。心はとっくに離れていたんだから。

「ねぇ、安奈ちゃん。隣の人何語喋ってるのかなぁ? 外国語だよね? 」
璃花が、隣の席のカップルを見て不思議そうな顔をしている。あたしはそんな璃花の方が不思議だった。だって、彼らは明らかに日本語を喋っているのだから。

サクライハナカ [IFfsL-Lquda-ncunC-diWrS] 2005/10/02(日) 23:11:13

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